世界NO・1に堂々と競り勝った。14年から本格参戦している野村敏京(はるきょう、23=フリー)が8バーディー、1ボギーの65で回り、通算16アンダー、272で米ツアー初優勝を飾った。世界ランク1位のリディア・コ(18=ニュージーランド)を15番からの3連続バーディーで突き放し、日本勢として4季ぶり、9人目の米ツアー制覇を達成。20日(日本時間21日)時点で世界ランク国内7番手からの8月リオデジャネイロ五輪出場へ、大きく弾みをつける1勝となった。

 18番グリーンで野村は、デッドヒートを繰り広げたコのウオーターシャワーでお祝いされた。ジェニー・シン(韓国)ダニエル・カン(米国)マソン(ドイツ)が次々に抱きついてくる。国際色豊かな祝福の輪こそが米ツアーで戦い、認められてきた証し。「世界の米LPGAツアーでこんなに早く優勝できるとは思わなかったけど、この優勝にはすごく大きな意味があると思います」と笑った。

 数々の史上最年少記録を塗り替えてきた天才少女、コと一騎打ち。5番はガードバンカーから構えたクラブのすぐ後方に木の枝が刺さっている難しいショットを15センチに寄せてバーディー。9番は15メートルのロングパットを決めてトップに立った。そして、15番からの3連続バーディー。コとの実力差を問われ「正直に言った方がいいですか」と、ちゃめっ気たっぷりに笑いながら続けた。「やっぱり私は負けず嫌いなので私の方がもっと上じゃないかな」。

 オフはあまりこだわってこなかったクラブ調整に時間を割いた。「全然合っていなかった」というヘッドやシャフトを変更。約250ヤードだったドライバーショットの平均飛距離は20ヤード近く伸び、パーオン率も向上。開幕戦から2試合はいずれも13位だったが、開幕戦は首位タイ、続く2戦目も2位で決勝ラウンドに進んでいる。この日勝利を引き寄せたパットはルーティンの変更がはまった。「これまで考え過ぎだった」とシンプルに打つことを心掛け、直前の素振りもやめた。

 日本人の父と韓国人の母を持つ。幼少時代を横浜で過ごした後に韓国へ移ってソウルの高校を卒業し、10年12月に日本国籍を選択。11、12年と米ツアーの厚い壁にはね返され、13年は日本ツアーに専念。賞金ランク29位に入ったが「骨をうずめるつもり」で再び最終予選から異国の地での戦いに挑んだ覚悟が報われた。

 11年5月、中京テレビ・ブリヂストン・レディースでプロとして日本ツアー初出場初優勝を飾った後「絶対に出たい。金メダル、絶対に取りたい」と語っていたリオデジャネイロ五輪が8月に迫る。並み居る強豪を抑えての優勝で、世界ランクも現在の67位から大きく浮上するのは間違いない。大器が夢へ近づく1勝を挙げた。

<野村敏京アラカルト>

 ◆生まれ 1992年(平4)11月25日、横浜市出身。

 ◆日本国籍 日本人の父と韓国人の母を持ち、5歳まで日本で過ごした後、ソウル明知高校卒業まで韓国・ソウル在住。10年12月に日本国籍を選択した。

 ◆ゴルフ歴 祖母の影響で10歳から。

 ◆プロ転向 日本国籍選択後に米ツアー最終予選で40位となりプロ転向。11年5月、中京テレビ・ブリヂストン・レディースでプロとして史上9人目の日本ツアー初出場初優勝。

 ◆米ツアー 14年から本格参戦。これまでは同年メイヤー・クラシックの4位が最高だった。

 ◆男勝り? 「敏京」の発音は韓国語で「ミンギョン」という女性の名前だが「使っている字は韓国で男の名前。お母さんのおなかにいるときから男みたいだったみたい」(野村)。

 ◆サイズ 166センチ。血液型A。