男子プロゴルフの黎明(れいめい)期を支えたプロゴルファー林由郎氏が2日午前8時20分、老衰のため茨城県内の施設で死去した。89歳だった。戦前に16歳でプロとなり、日本オープン2勝、日本プロ4勝など12勝を挙げるなど中村寅吉らとともに戦後期のゴルフ界をけん引。青木功、尾崎将司、福嶋晃子らトッププロを育て、ゴルフ界に貢献した。葬儀・告別式は9日午前11時から千葉県柏市旭町4の1の2、セレモ柏ホールで。喪主は長男の由一(よしかず)氏。

 また1人、ゴルフ界を築いた名手が逝った。林氏は10歳で自宅近くの千葉・我孫子GCにキャディーとして入ってゴルフに出合い、38年(昭13)に16歳でプロになった。第2次世界大戦で徴兵されたが、戦後最初の開催となった48年関東プロで初優勝。宮本留吉、中村寅吉、戸田藤一郎らと、戦後の興隆期を引っ張った。

 39年に宮本、中村、戸田とのエキシビションマッチで空振りの大失態。欠点を指摘されてスイング改造に取り組み、フック、スライスなど球を自在に操る技術を身につけた逸話を残す。161センチと小柄ながら、日本プロ4勝など公式戦10勝、通算12勝。海外でも活躍し、石井迪夫と組んだ56年カナダ杯(現W杯)4位など一時代をつくった。

 「笑われて伸びる」「技術は盗むもの」という経験からの持論は「我孫子一門」と称される、多くの名選手を生んだ師匠としても手腕を発揮した。青木、松井功前プロ協会会長や、尾崎3兄弟(将司、健夫、直道)らを育て、小学生の福嶋晃子の素質を見抜くなど、賞金王、賞金女王6人を輩出した。

 長男由一、孫の由寿と、3代にわたるゴルフ一家。日本プロゴルフ協会副会長(79~84年)を務めるなど、プロゴルフ界への功績は計り知れない。ユニークな教え方で、一般ゴルファーにも真剣に接する名伯楽だった。

 ◆林由郎(はやし・よしろう)1922年(大11)1月27日、千葉・我孫子市生まれ。38年、16歳でプロ入り。48年、プロゴルフ戦後再開初試合の関東プロで初勝利を挙げて頭角を現し、日本オープン(50、54年)日本プロ(49、50、56、61年)など通算12勝。指導者として「我孫子一門」を築き、ゴルフ解説などでも活躍。83年日本プロスポーツ功労賞、94年スポーツ功労者文部大臣顕彰を受けた。