元陸上の五輪代表選手で、コメンテーター、文筆家としてマルチな才能を発揮する為末大氏(37)が17日、新国立競技場の建設計画が白紙になったことを受け、自らの考えをブログに記した。タイトルは「未来から考える新国立競技場」。内容は次の通り(原文のまま)。

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 安倍首相から新国立競技場についてゼロベースで見直しすると発表がありました。一時期は決定したことだから覆せないという空気がありましたが、こうして再検討されることはうれしく思います。

 一方、この段階で白紙に戻して考えるということは、ラグビーのW杯に負担を強い、これまで計画に関わってきた多くの人たちにとっても負担を強いることになります。後ろ向きの責任探しをするという方向ではなく、五輪後の未来の街はどうあるべきかというところから議論がはじまって欲しいと思います。1964年の競技場が2014年まで使っていたことを考えると、2020年に作られる新国立競技場は短くとも2070年まで使用することになります。

 私のアスリートとしての願いとしては国立競技場は聖域であることをやめ、毎日国民に使われるすべての人にひらかれた国立競技場を目指して欲しいと思います。これまで国立競技場を含めスポーツ施設は、勝手に入ってはいけない、迂闊に触れてはならない聖域のように扱われてきたと思います。その空気は権威のようなものをスポーツ界に与えはしましたが、すべての人がスポーツを気軽に楽しむということを遠ざけてきました。

 私の原体験は、海外のスタジアムにカフェとレストランやホテルが併設され、ことあるごとにそこでパーティーが行われ、宿泊し、また毎日そこが地元の方のコミュニティになっていた風景です。朝子供達がサッカーをし、昼間おじいちゃんがペタンクを楽しみ、午後からトップ選手も含んだ陸上チームがトレーニングを始め、近所の方がそこでビールを飲みながらスタジアムを眺めている。スタジアムはどんな建物かではなく、そこにどれだけの人が集まるかで価値が決まります。スポーツをしない人に使われるにはどうしたらいいかを視点の一つに入れて欲しいと思います。

 また計画段階においてどこかにパラリンピアンの意見を入れて欲しいと思います。日本が出すべきコンセプトとして新しい競技場は、障害を持った方も、高齢者の方も、子供も、すべての方が観戦しやすく、且つ競技しやすいものにはできないでしょうか。世界でもっともバリアフリーが進んだ競技場を作り、そのコンセプトと知見が次の競技場に伝わっていき、いずれ世界中の競技場がバリアフリーになっていく。それは日本から始まり世界に伝わっていくレガシーとも言えると思います。

 陸上選手としてオリンピックを振り返ると、競技場の外観ではなく、いつも競技場の中での空気感と観客との一体感が思い出されます。地面の素材は基本的にはどの競技場も変わりません。その観客との空気感を決定付けていたのは、観客席とトラックの位置関係だったと思います。なるべく観客が近い位置で選手の息づかいを感じられる形を目指して欲しいと思います。

 2070年にどんな社会を目指すべきか。私はその時にはスポーツが一部のチャンピオンを目指す人たちだけの触れ難い聖域ではなく、すべての人にとって身近で親しみのあるものになっていてほしいと考えます。