佑ちゃん&マー君の投げ合いで幕を閉じた06年夏の甲子園は、準々決勝の智弁和歌山―帝京(東東京)戦で甲子園史上に残る、逆転につぐ逆転のドラマがあった。全国高校野球選手権大会100周年企画、「未来へ」の第2回は、甲子園春夏通算最多の63勝を誇る智弁和歌山・高嶋仁監督(68)、同3位タイ51勝の帝京・前田三夫監督(65)との「東西最多勝対談」(横浜・渡辺元智監督も51勝で東日本最多タイ)で、あの熱戦を振り返ります。【取材・構成=堀まどか、前田祐輔】

06年夏の甲子園 準々決勝の智弁和歌山対帝京戦のスコアボード
06年夏の甲子園 準々決勝の智弁和歌山対帝京戦のスコアボード

 熱い高校野球の話が始まる。そんな期待感でいっぱいだった名将対談は、意外な幕開けをする。約1年半ぶりの再会。お互いの携帯電話を確認すると、ガラケーの65歳前田監督に対して、68歳の高嶋監督はスマホを使いこなしていた。「高嶋さん、すごいね~」と突っ込む前田監督に対して、高嶋監督が口火を切る。

 高嶋 海外旅行に行ったときに便利ですよね。レストランのメニューとか分からないじゃないですか。

 前田 海外旅行行くんですか。余裕ですね。余裕じゃないですか(笑い)。奥さま孝行ですか。はー。どこ行ったですか、最近は。

 高嶋 オーロラを見に、カナダに。あとマチュピチュとかね。変わりますよ。マチュピチュ行った時は。もう野球なんてやってられないと思いましたよ。

 前田 地球の反対側じゃないですか。そんな時間ありますか。さすが余裕が違いますね~。

 もう20年来、旧知の仲の2人。あいさつ代わりに前田監督が〝先制攻撃〟すると、話題は、次第にあの試合にシフトする。

 06年夏、準々決勝の智弁和歌山―帝京。まずは帝京が4点を追う9回表2死から、6連打で8点を奪って逆転した。この回、9番の主戦大田(現DeNA)に代打・沼田を送るも凡退。だが、2死一、二塁から4番中村(現ソフトバンク)が右前適時打を放つと、4連打で1点差、杉谷(現日本ハム)の2点適時打で逆転。さらにこの回2度目の打席に立った沼田が3ランを放ち、一挙8点を挙げて12―8と逆転した。甲子園は異常な興奮に包まれた。

 9回表の開始前、帝京のベンチ前で起きた出来事を述懐した。

 前田 もうあと3つアウト取られたら負けですから。僕は選手に問い掛けたんです。そうしたら「(代打)沼田行こう」と、そういう声が出ましたから。僕は迷わなかったですね。大田を下げると9回裏は(中堅手の)勝見というのが投げることになるんですけど、彼は2年生の時にエース番号をあげた選手。ピッチャー練習もさせてましたし、勝見で勝てると。100%裏付けはありましたけどね。100%の裏付けが、やっぱり、誤算でしたよね。

監督初優勝の本紙を手に笑顔を見せる智弁和歌山・高嶋仁監督(左)と帝京前田三夫監督
監督初優勝の本紙を手に笑顔を見せる智弁和歌山・高嶋仁監督(左)と帝京前田三夫監督

 3年生になって公式戦登板がなかった帝京・勝見の制球は定まらない。逆に4点を追う智弁和歌山は9回裏、2四球後に橋本良平(元阪神)の3ランで1点差に迫った。

 高嶋 前田監督がピッチャーを使い、代打を出し、ピッチャーを出し、最後ピッチャーおらんようになった。ここが誤算じゃなかったかと思うんですけどね。うちが勝つとすると、4点差を1回にひっくり返そうと思ったら、ランナーをためるしかないんですよね。打って、打ってためたんじゃなくて、フォアボールでためてくれたっていうのが大きかったですね。

 前田 あのゲームというのはピッチャーがいなくなったと、皆さん言ってますけど、僕自身はあの8点で勝ちだと。監督としてベンチに入れば、監督同士の戦いがありますから。高嶋さんはベンチ前で仁王立ちしていますけど、僕は数えましたけど、2回崩れているんです。よーし、これで勝ったと。高嶋さんのあの姿を崩すのが、他の学校の1つの目標ですからね。ただ、勝負は甘くなかった。(つづく)

 ◆前田三夫(まえだ・みつお)1949年(昭24)6月6日、千葉県生まれ。木更津中央(現木更津総合)では三塁手で、甲子園出場なし。帝京大卒業後に、帝京野球部監督に就任。春1回、夏2回甲子園優勝。主な教え子は元ヤクルト伊東昭光、ソフトバンク中村晃ら。

 ◆高嶋仁(たかしま・ひとし)1946年(昭21)5月30日、長崎県生まれ。海星(長崎)で外野手として夏の甲子園2回出場。日体大卒業後、72年から智弁学園(奈良)監督、80年から智弁和歌山監督。春1回、夏2回甲子園優勝。主な教え子はヤクルト武内晋一、日本ハム西川遥輝ら。