帝京は8回までに3人の投手を使い果たしていた。甲子園史に残る熱戦をひもといても、投手がいなくなった事態は極めて異例だ。智弁和歌山は、攻撃の手を緩めなかった。

 高嶋 9回に4番が3ラン打って、ノーアウト一、二塁になって、ホームラン2本打った馬場に回ったんです。勝とう思ったら、だいたいバントです。二、三塁にして外野フライで終わりという感じですが、馬場の今までのバッティング見たらバントさすわけにいかんですよね。負けてもええ、行け行けって。そしたらレフトフライだったんですね。あそこでバントして失敗していたら、多分負けていると思いますね。

 前田 でもそれがひとつの流れであって、やっぱり負けっていうのは、ちょっと違うことやると、必ず負けるね。普段やってないことをね。

劇的な勝利を飾った智弁和歌山の高嶋仁監督(右)(06年8月17日)
劇的な勝利を飾った智弁和歌山の高嶋仁監督(右)(06年8月17日)

 高嶋 8点取られて4点差付けられたので、気持ち的にはあきらめていましたけどね。帝京さんには悪いんですけど、あの時は田中のマー君をやっつけに出たんですよ、甲子園に。2年の秋、神宮大会で見て、真っすぐが150キロ、スライダーが139キロやったかな。これは練習せんと打てん。2カ月かかりましたけどね、スライダーにも何とかついていけるようになった。だから選手に言ったんです。お前ら負けたら、次マー君とできんやないかと。

 両者が共にポイントに挙げたのは、智弁和歌山・橋本に3ランが出て1点差になった直後。四球で無死一塁となった場面だ。

 前田 普通はね、なかなかヒットは出ないです。仕切り直しですから。ピッチャーも投げやすい。フォアボールを出した時点で、嫌な感じはしましたよね。

 高嶋 ビデオを見返したんですけど、前田監督も何とも言えない顔してるんですよ。あの野郎って、顔しているんですよ。

 その直後、帝京は遊撃の杉谷を登板させたが、初球に死球を与えて降板。さらに普段は打撃投手の岡野をマウンドに送るも、同点打を浴び、なおも1死満塁から押し出し四球を与えた。甲子園史上に残る試合は、13―12で智弁和歌山がサヨナラ勝ちした。

敗退し、厳しい表情で引き揚げる帝京・前田三夫監督(06年8月17日)
敗退し、厳しい表情で引き揚げる帝京・前田三夫監督(06年8月17日)

 前田 もう何十年も監督してますけど、あの時の甲子園のなんて言うのかな、怒濤(どとう)のごとく沸き上がるね、うなりというものには、鳥肌が立ちましたよ。すごいゲームをしたんだって実感が湧きましたね。(帝京の地元)十条も、電気屋さんのテレビに、人がたまって交通もストップしちゃった。そういう話聞きましたよ。やっぱり、感動与えたんでしょうかね。喜んでくれて良かった。

 高嶋 ああいうゲームって甲子園じゃないとできないんです。地方大会だったら、すんなり終わりですよね。甲子園っていうのは、すごいことができるところなんですね。

 今でも色あせない激戦の余韻。次第に話題は2人が出会った約20年前の出来事や、時代とともに変化していく指導法、甲子園の戦い方に及んだ。(この項おわり)

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◆プロ野球にもない「1球勝利&1球敗戦」

 06年夏の帝京―智弁和歌山戦は多くの記録を残した。智弁和歌山の1試合チーム5本塁打は大会史上最多。両チーム合計7本塁打も新記録。逆転サヨナラ勝ちの4点差は夏の大会で最大得点差。面白かったのは投手成績で生まれた前代未聞の珍記録。智弁和歌山・松本が1球で勝利。帝京・杉谷(現日本ハム)が1球で敗戦投手になった。

 「1球勝利&1球敗戦」はプロ野球にもない。智弁和歌山は9回、8点を奪われると、2年生の松本を起用。1球で三ゴロに仕留め、猛攻を終わらせた。帝京は9回から登板した勝見が橋本に3ランを浴び、四球を与えたところで1年生遊撃手の杉谷に交代。杉谷は松隈への初球に死球で降板。6番手岡野が同点打を許した後、押し出し四球を与えサヨナラ負け。決勝ホームを踏んだ松隈を杉谷が出していたため1球敗戦となった。【織田健途】



 








劇的な勝利を飾った智弁和歌山の高嶋仁監督(右)(06年8月17日)
劇的な勝利を飾った智弁和歌山の高嶋仁監督(右)(06年8月17日)