神奈川新時代の幕開けだ。東海大相模が横浜を投打に圧倒し、2連覇を飾った。ドラフト1位候補の150キロ左腕、小笠原慎之介投手(3年)が7安打4奪三振で完封。打線も杉崎成輝内野手(3年)が4安打5打点をマークするなど、15安打9得点で大量援護し、昨夏に続く甲子園への切符を手にした。

 神奈川最強は自分だと言わんばかりの、圧倒的な124球だった。東海大相模・小笠原は1回2死、自己最速タイの150キロで空振り三振を奪った。エンジン全開。球威は落ちることなく、9回の122球目も149キロを計測。ゲームセットの打球が二塁手のグラブに吸い込まれると、マウンドに向かい両拳を突き上げた。「連覇を信じて、『打倒横浜』を掲げてやってきた。圧倒的な強さで勝つつもりでした」。ヒーローインタビューで高らかに言った。

 激戦区・神奈川大会の2連覇は01年の横浜以来、14年ぶりの快挙。渡辺元智監督(70)最後の夏とあって、相手の応援にのまれそうにもなった。「相模のエースがそんなんでいいのか」。6回2死満塁。最大のピンチは、3球直球からの外角チェンジアップで空を切らせた。

 快投は「2枚看板」の相乗効果が生んだ。ベンチには変化球が武器の「ドクターK」右腕、吉田凌投手(3年)が控えた。門馬敬治監督(45)が「勝利へ最善を尽くした結果、『エースと心中』ではなく『エースを1人にしない』だった」。左と右、球威と変化球。タイプの違う両投手が時に完投で、時に継投で補い合ってきた。「吉田がいるから、目の前の打者に全力でいけました」。試合前「2人で甲子園に行こうな」と約束した友の存在を励みに、9回を投げきった。

 門馬監督にとっても特別な意味を持つ決戦だった。かつて渡辺監督は、東海大相模の原貢元監督(享年78)を手本としていた。そして今、渡辺監督が指揮官の目標となっていた。選手には昨年から野球ノートに「打倒横浜」と書かせ続けた。「渡辺監督、そして横浜高校に鍛えられて、成長させてもらったチーム。全身全霊で戦った。本当にうれしく思います」。目指し続けた名将を破り、試合後に感謝の涙を流した。

 最強のライバルを倒して得た「神奈川最強」の称号。昨夏の甲子園も優勝候補に挙がりながら初戦(2回戦)敗退だった。小笠原は「悔しさが忘れられない。頂点まで上り詰めます」。横浜から託されたバトンを手に、70年以来となる夏の全国制覇へ挑む。【鎌田良美】

 ◆小笠原慎之介(おがさわら・しんのすけ)1997年(平9)10月8日、神奈川・藤沢市生まれ。小1で野球を始め、善行中では「湘南ボーイズ」に所属。中学3年夏にジャイアンツカップ初優勝。東海大相模では1年春からベンチ入り。家族は両親と弟、妹。178センチ、82キロ。左投げ左打ち。

 ◆150キロ左腕 東海大相模・小笠原は球速150キロを出す。スピードガンが普及した80年以降、甲子園の球場表示で150キロ以上を出した左投手は05年夏の辻内崇伸(大阪桐蔭=152キロ、元巨人)、09年夏の菊池雄星(花巻東=154キロ、現西武)しかいない。

 ◆東海大相模 1963年(昭38)に東海大の付属校として創立された私立校。生徒数は1778人(女子722人)。野球部も創立と同時に創部。部員数は89人。甲子園出場は夏は今回で10度(優勝1回)、春9度(同2回)。主なOBは巨人原辰徳監督、柔道家の山下泰裕氏ら。所在地は相模原市南区相南3の33の1。大金真人校長。

◆Vへの足跡◆

2回戦11-0足柄

3回戦8-3住吉

4回戦7-0藤嶺藤沢

5回戦4-0相洋

準々決勝8-1平塚学園

準決勝8-1日大藤沢

決勝9-0横浜