太っさん、熱投! 超高校級スラッガーとして“怪童”の異名をとった高松一OB、元西鉄ライオンズの中西太氏(85=日刊スポーツ評論家)が9日、第100回全国高等学校野球選手権記念香川大会の開幕になった、レクザムスタジアム(香川県営野球場)での藤井-尽誠学園で始球式を行った。

 故郷のマウンドに立った中西氏は、当時の母校のユニホームを着込み、低めに沈む球を投げ込んだ。「ちょっと体が流れそうになったけど、うまく修正できた」。満足げなレジェンドは、万雷の拍手を浴びたスタンドに手を振って応えた。

 高1だった1949年(昭24)春夏、高3の51年夏と3度の甲子園出場。33回大会の最後の夏は、岡山東(現岡山東商)、福島商と対戦し、2試合連続ランニング本塁打を放つなど、走攻守の3拍子そろったプレーヤーだった。

 戦後の混乱期に、ひたすら白球を追いかけた。石清尾(いわせお)八幡宮での階段登りで、強靱(きょうじん)な足腰を鍛え、精神力が培われた。中西氏は「八幡宮さんで千本ノックに耐えることのできる体力とバネができた」となつかしんだ。

 プロ入り後は西鉄ライオンズの主砲として活躍した。本塁打王5回、首位打者2回、打点王3回を獲得した名選手だった。西鉄、阪神、日本ハムなどで監督を務め、9球団でコーチとして指導にあたるなど、プロ・アマ野球界に貢献してきた。

 開会式でもあいさつに立った中西氏は、セレモニーを終えて「わたしも失敗を繰り返しながら立ち上がってきた。コツコツと失敗をおそれず取り組んでほしい」とした上で、「(梅雨前線による大雨の影響など)みなさんのはつらつとしたプレーで、被災地を元気にしてあげてください」と呼び掛けた。