異例の独自大会と変則ダブルヘッダーを制したのは、聖隷クリストファーだった。決勝戦で浜松開誠館を6-5で破り、1985年(昭60)の創部以来、36年目にして夏の県大会初優勝を飾った。浜松勢の夏の県制覇は、同じ浜松対決で浜松商を下して優勝した02年の興誠(現浜松学院)以来、18年ぶり。聖隷クリストファーの上村敏正監督(63)にとっては、浜松商の監督だった1990年(平2)以来、30年ぶりの優勝となった。

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最後の打者を左飛に打ち取った聖隷のエース右腕・城西裕太(3年)は、チームメートにもみくちゃにされながら大喜びした。3回に登板後、追い上げられ、最終回にも1点を返された。「不安でしたが、今大会は攻める投球を心がけていた。気持ちが切れたら終わりだと思ったので、踏ん張りました」。上村敏正監督(63)は「どうなっても、最後は必ず城西で終わるつもりだった」と話し、信頼感をにじませた。

攻撃では、9番中島虎太朗(こたろう)外野手(3年)が大仕事をした。1点を追う2回に、右前へ一時逆転となる2点適時打。6回2死一塁では、今大会全試合登板で自責点0を続けていた相手エースに対した。「『俺が決める』という強い気持ちで臨みました」。右中間を破る決勝適時三塁打を放った。

この日午前の準決勝では、優勝候補の静岡商を9-6で下した。リードを許したが、6回に相手のプロ注目左腕・高田琢登(3年)から一挙5得点で逆転。1番・上島寛大外野手(3年)が決勝打を放った。前日1日の準々決勝・常葉大菊川戦で無安打。帰校後に打撃練習を行い、指導陣から「お前は大丈夫」と声をかけられたことで気持ちを吹っ切った。「焦りがありましたが、そのひと言で気持ちが楽になりました」。決勝戦でも2安打を放ち、チームに勢いを与えた。

17年秋の上村監督就任後に入学した3年生たちは、指揮官から「頭とハートを使った野球」を求められた。選手だけでミーティングを行い、どうすれば理想に近づくか話し合った。気づいた点を指摘し合い、互いに妥協を許さない練習を続けた。上島は「毎日くじけそうになって、何度もやめたいと思った」と明かした。それでも、チーム全体で恩師を信じて努力を重ね、考える力や気持ちの強さを身につけ、今夏の勝負強い野球へとつながった。

追い求めていた頂点の座をつかんだ。城西は「これで甲子園があったらなと思う」と本音を漏らすと、指揮官も「甲子園がないのはかわいそうだ」と続けた。聖地には行けなかったが、自身の30年ぶり県制覇を実現してくれた教え子たちを「最後までよくついてきて、頑張った」とたたえた。【河合萌彦】

◆聖隷クリストファー 1966年(昭41)に聖隷学園高校が浜松市北区で開校。2001年(平13)に現在の名称に変更。男女共学の普通科に加え、06年に英数科を開設。中高一貫校のため、部活動をする生徒が多く、バレーボール部は強豪で知られる。野球部は1985年創部。