高校野球ファン垂ぜんのシーンが、20年ぶりによみがえった。

 松坂大輔(中日)が12ぶりに、全セの先発として球宴の舞台に戻ってきた。この場面で三塁コーチを務めたのが、平石洋介監督代行(楽天)。松坂世代の同級生で、PL学園の主将だった。

 2人には因縁がある。98年夏の全国高校野球準々決勝。松坂は春夏連覇を目指す横浜のエースとして、平石は三塁コーチとして対戦した。平石は捕手小山良男(後に中日)の構えが、直球と変化球で異なることを見抜いていた。直球なら「行け行け」、変化球なら「狙え狙え」と声を出し、打者へ球種を伝達していたのだ。延長17回の死闘は、甲子園史上に残る好ゲームとして高校野球ファンの記憶に残っている。

 平石監督代行は当初、三塁コーチに立つ予定はなかったという。だが松坂の登板に合わせ「ノブ(ソフトバンク松田宣浩)秋山(西武)今江(楽天=平石のPL学園の後輩)がグルになって『(全国高校野球が)100回記念大会なんだから行かなあかんだろ』と言ってきたので」と急きょ、選手を立たせるはずだったコーチスボックスに追い立てられたのだ。

 20年ぶりに、松坂を同じ位置から見た。「あんな所から見られて懐かしかった」。松坂は大リーグを経て、肩のけがや移籍を乗り越え、セ・リーグに移籍して大舞台に復帰した。先に現役を引退した平石はヘッド兼打撃コーチだったが、今季途中から監督代行として指揮を執っている。楽天が昨年3位になっていなければ、監督代行に就任していなければ、立っていない場所だった。偶然が重ならなければ、こんな再現はなかったのだ。「何人が(因縁に)気が付いていましたかね」と言ったが、高校野球ファンならば、思わず膝を打った人も多かっただろう。

 松坂は直球系ばかりを投げ込んだ。平石監督代行は「禁止ですから」と打者へ球種の伝達をしなかった。プロ野球の申し合わせ事項で、球種の伝達は禁止されている。「楽しかった」と突然のお膳立てを振り返った。オールスターには、いろんなドラマが隠されている。【斎藤直樹】