北翔大が逆転で昨春王者の東海大北海道を下し、開幕2連勝した。

同点の8回1死満塁で、6番小畑智広(4年=札幌東豊)が、勝ち越しの中前2点適時打を放ち、試合を決めた。今春初めてメンバー入り。平成最後となった4月30日の第3試合でリーグ戦デビューし白星発進。令和の第1試合では決勝打と、2つの時代をまたぐ2連勝に貢献した。

試合に出られる喜びを全身で表現した。8回の中前打は、高めの直球を「最悪、犠飛でもいいと思って、思い切って振った」。狙いに反して、打球はやや押し込まれ気味のゴロとなったが、二遊間を抜け、貴重な決勝打となった。塁上で何度も右拳を突き挙げ「試合に出させてくれた監督のためにも何とか打ちたかった」と振り返った。

兄の尋規(23=トヨタ自動車)は北照の捕手として、13年に春夏連続甲子園に出場。自身も兄と同じ西発寒ホークスで小学2年から野球を始めたが「いろいろあって、少し野球が嫌になった」と札幌手稲中では、バスケットボール部に所属した。だが、中学3年の春、転機が訪れる。兄が出場し1勝したセンバツを甲子園で観戦し、興奮。「もう1回、野球で頑張ってみたい」と決意し、札幌東豊高では野球部に入り、自身も甲子園を目指した。

全道大会出場経験もない公立校。甲子園に導くことはできなかったが、高校3年になった15年春、01年秋から未勝利だった札幌東豊に、投手兼捕手として14年ぶり1勝をもたらした。さらに上を目指そうと札幌6大学リーグ1部の北翔大に進学。同高からの同大野球部入りは初めてで、自己紹介で「トウホウ出身です」と言うと、先輩から「あの(愛知の)東邦か?」と間違われたこともあった。

強豪私立校出身者が多い同大では昨秋まで、ベンチ入りすらできなかった。あきらめかけ「もうバイトして小遣いを増やそうかな」と母泉さん(50)に相談。「バイトは社会に出てからでも出来るけど、野球は今しかできないよ」と諭された。最終学年でのレギュラー入りを目標に掲げ、再び身を入れて練習した。今春、コーチから昇格した渡部峻新監督(27)は、その姿をずっと見ていた。今春のオープン戦8戦わずか2安打の小畑を我慢して使い続け「打てなくても替えない。思い切ってやれ」と励まし潜在能力の開花を待った。

188センチ、95キロと恵まれた体格を生かした長打力が武器。初戦が5打数2安打1打点、2戦目は4打席目まで凡退も、最後の5打席目に決勝打と、勝負強さを発揮した。何度も挫折を繰り返し、大学最終学年で目覚めた男は「札幌東豊という無名の公立校から野球で全国大会に出たら珍しい。そういう成り上がりみたいなことをしてみたい」。春4連覇中の東海大北海道を撃破し、勢いをつけた。チームを11年秋以来15季ぶりのリーグ制覇に導き、全日本選手権切符を勝ち取る。