2年連続ベスト8を狙った宮崎産業経営大が延長11回タイブレークでサヨナラ負けした。前日も完投したエース杉尾剛史投手(4年=宮崎日大)が149球目を痛打された。

杉尾は左中間方向を見つめたまま、マウンドに立ちつくした。11回1死二、三塁。打者藤井に初球の直球をとらえられた。疲れではない。試合中、三輪正和監督(55)に状態を聞かれたが「力を抜いて投げているので大丈夫です」とペース配分していた。

「失投ではなかったけど、それまで初球を打ってこなかったので気の緩みがあった。日本一を目指してやってきたので悔しいです。東海大打線は気を抜ける場面がなかったけど、途中まで1点に抑えられたのは自信になる。あまりとらえられた打球もなかったので、手応えはあります」

整列を終え、仲間たちから「ありがとう」と感謝されると、みるみる目に涙がたまった。2日で計276球を投げた右腕は「みんながすごい応援してくれて、ベンチでも声を出してくれた。本当に申し訳ない。『ごめん』と言いたいです」とはなをすすった。

女房役で主将の大幡正敏捕手(4年=鵬翔)は4打数無安打だった。「ツヨシを見殺しにしてしまったのが悔しい。申し訳ないです」と泣き崩れた。

杉尾は小学生の頃から県内で名の知れた存在。宮崎市内の同地区チームのライバルで交流があったのが大幡だった。中学でともに硬式に転向したが杉尾はシニアリーグ、大幡はフレッシュリーグと連盟が違ったため対決は練習試合だけ。ただその時に大幡は「スライダーも制球もすごい。こいつと同じ高校に行かないと甲子園は無理」と感じた。結局、同じ高校への進学もかなわなかった。

高校3年の10月。大学進学が決まった杉尾は、大幡に声を掛けた。大幡は高校で野球を終えるつもりでいたが杉尾が「全国に行きたい。一緒にやろう」と口説いた。近くて遠かった2人がついに同じユニホームを着ることになった。

入学直後から杉尾は「神宮ではなく、日本一を目指そう」と声を上げてきた。実績のない地方大学では無謀な挑戦にも思えたが、少しもブレない杉尾の姿に、ナインも引っ張られていった。「ツヨシは誰よりも努力した。あいつのおかげでチームが変わった。本気で日本一と言い続けてきた。本当にすごいです」と大幡。初出場の昨年に続く全国大会だったが、頂点には届かなかった。

毎年、春季限りでほとんどの4年生が引退する。今年も33人のうち残るのは10人いるかどうか。敗退後のベンチ裏ではいたるところでおえつが漏れた。三輪監督は「もうこのメンバーでやるのは最後。悔しさと寂しさでしょう。もう1、2試合やりたかったのが本音です。選手はよくやりました。私がもう少しタイブレークで何とかできなかったか…。悔しいですね」とため息をついた。

選手権後に主将が代わる例も多く、大幡は3年生だったこの時期から主将を務めている。「主将をやるかは分かりませんが、もう1回自分が立て直したい。野球をやることは決めています」と大幡が意欲を燃やせば、杉尾は「まだ秋にチャンスがある」と切り替えた。本気で日本一に挑む宮崎産業経営大の集大成は秋に持ち越された。