昨年12月に学生野球資格回復研修を受けたイチロー氏(46=マリナーズ会長付特別補佐兼インストラクター)が7日、資格回復を認められた。都内で開かれた日本学生野球協会による資格回復審査委員会で、同氏を含む94人が認定された。8日以降、各都道府県高野連や各大学連盟に指導者登録すれば、学生を指導できる。

【プロアマ交流の歴史】

▼46年 文部省の監督下にあった学生野球の自主運営を目指し、日本学生野球協会創立

▼49年 日本社会人野球協会(現日本野球連盟)発足。社会人とプロが区別され、対戦を禁じる

▼50年 日本学生野球協会が、46年制定の基準要項を学生野球憲章に改正。プロとの対戦認めず

▼61年 プロアマ間が無協約状態だった当時、中日が柳川福三外野手(日本生命)と強引に契約する「柳川事件」、門岡信行投手(大分・高田高)が甲子園敗退直後に中日入りを表明した「門岡事件」が起こる。プロ側の過熱したスカウト活動が表面化し、不信感を強めた社会人側はプロとの断絶を表明。日本学生野球協会も同調

▼65年 プロがドラフト制導入

▼69年 プロと社会人の協議再開

▼73年 社会人がプロ経験者の臨時コーチ受け入れを許可。大学も元プロの母校での臨時コーチを認める

▼78年 社会人がプロ経験者の監督、コーチ登録を1チーム2人以内で認める

▼84年 教員勤務10年のプロOBは高校監督として許可される。プロアマ断絶後、元プロ監督第1号となった元東映の後原富(せどはら・ひさし)氏は、瀬戸内(広島)を率い91年春、00年夏に甲子園出場

▼92年 バルセロナオリンピック(五輪)代表とプロ選抜が、49年のシールズ対東京6大学選抜以来43年ぶりにプロアマ対戦

▼94年 高校球界復帰規定が教諭歴10年から5年に短縮

▼95年 東京6大学選抜とプロOB選抜が、初の学生対国内プロとして対戦

▼97年 高校球界復帰規定が教諭歴5年から2年に短縮

▼99年 社会人がプロ退団者の受け入れ開始

▼00年 シドニー五輪に史上初のプロアマ合同チームで出場。社会人がプロ単独チームとの交流戦開始

▼03年 日本野球連盟が「プロを除外している記述」を原則廃止。プロ関係者のコーチが届け出不要に。特例だった元プロの監督・コーチ、選手登録も制度化される。現役プロが高校生に技術指導を行うシンポジウム「夢の向こうに」開催

▼05年 元プロの大学監督就任が可能に。現役プロの母校自主トレ解禁

▼12年 ユニホーム姿の高校球児にグラウンドでの技術指導解禁。1月のシンポジウム「夢の向こうに」で巨人小笠原らが指導

▼13年 高校監督の教諭歴規定を撤廃。プロ、アマがそれぞれ設ける研修会を修了し、適性検査を経ることで資格を回復できるように緩和された