優勝マジック1の巨人が、2年連続38度目のリーグ制覇をかけ本拠地のヤクルト戦に臨む。原辰徳監督(62)が宙に舞った、13、14、19年の優勝原稿3本を復刻します。盛り上がって午後6時のプレーボールを!

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<巨人2-1広島>◇2013年9月22日◇東京ドーム

原巨人が盤石の連覇を飾った。優勝マジックを1としていた巨人は22日、デーゲームで2位阪神がヤクルトに敗れたため、2年連続35度目のセ・リーグ優勝を決めた(1リーグ時代を含めると通算44度目)。ナイターで広島に2-1と競り勝ち、本拠地でV2を決めた。監督として通算6度目のリーグ優勝を成し遂げた原辰徳監督(55)は、村田修一内野手(32)ら個を磨きながら危なげなくペナントを奪取した。さあ、次は73年に9連覇を達成して以来の2年連続日本一に挑む。

優勝は決まっていた。でも勝って喜びたかった。強い希望がかなった。その瞬間に優勝が決まったかのように、選手たちがはじけた。原監督はゆっくり歩を進めると、8度宙を舞った。右翼席のファンとも万歳三唱で喜びを分かち合った。「素晴らしい選手たち」と、誇らしげにナインを見渡した。視線がふと村田をとらえた。

優勝を目前にした9月、原監督は村田を獲得した当時のことを思い起こしていた。別の選手の獲得を狙っていた清武英利前GM(62)に猛反対されていた。渡辺恒雄球団会長(87)に「村田を取ってほしい」と直談判して獲得にこぎつけた。「あの時だよ。オレはこいつを必ず復活させる。巨人の4番としてふさわしい男にしてみせるって思ったんだ」。自分に課した使命だった。

09年のWBCでともに戦った村田。やんちゃな風貌の内側の、まっすぐな強さに気付いていた。「修一は素直で気持ちのいい男なんだ」。遠征先のホテルでも、夕食会場でよく顔を合わせた。お酒を勧めるとすぐ酔いが回るのか、赤くなった。「もしかしてチームで一番、遊びに出歩いてないんじゃないかな」。心身ともに鍛えがいのある選手だと感じていた。

昨年以上に、32歳の男に対して厳しく接した。9番を打たせたこともあれば、1回終了時に交代させたこともあった。「1番に考えるのはチームをどう強くするか。だから、その時は、それがベストの布陣だと思ってやっていた。でも、彼は主軸だし、叱咤(しった)の意味もあったかもしれない」。愛のムチは、村田に精神的なたくましさを植え付けていった。

厳しいだけではなかった。6月、苦戦していた村田に手を差し伸べた。「かかと体重ではだめだ。母指球に重心を乗せて打て」と、アドバイスを送った。「本人はどう思っているか分からないけど、オレにはそこから良くなっていったように見えたね」。巨人の4番として、技術的な礎ができたとみていた。

温めていたプランを実行に移す時が来ていた。8月24日のDeNA戦、調子を上げ3番を打っていた村田と4番阿部の打順を入れ替えた。「さあ、今度は修一が慎之助を守る番だ」。後ろを打つ打者が前の打者を守る。結果がダメでもカバーする。「いろいろな負担のかかる阿部の4番というのは、本来は無理がある。本当は6番とか7番を打たせたいんだ」と明かした。

阿部が元気ならば、3番阿部、4番村田、5番高橋由というのが、今のベストオーダー。「阿部を守る存在というのは修一しかいなかった。そして2人を守るのは、由伸しかいなかった」と、その意図を説明する。「だれかが、だれかを守り、守られるというのは、すごく大事なことなんだ」。打線を組む上での哲学がそこにあった。

最後の天王山となった8月27日の阪神戦前、東京ドームの監督室に首脳陣を集めた。阪神投手陣の攻略を命じた。ただし、と条件をつけた。「打順は変えない」。こだわったのは4番村田を中心にした打線だった。昨年のような阿部の代わりの4番ではない。不動の4番だった。「個人のことはあまり言いたくないけど、彼の活躍というのは本当にうれしいんだ」。ようやく使命を果たすことができた。村田の躍進は、チームの躍進につながった。

あとは40年ぶりの日本一連覇へ突き進む。「2月1日から我々の目的は日本一連覇で変わらない。ペナントレースにおいては今日優勝できました。次の山はクライマックス。それを越えるとまた大きな山が来ます。1つ1つしっかりと越えて、さらに強いチームを目指したい」。力強く言い切った。【竹内智信】