「鬼滅の刃」が漫画、アニメ、映画と大ヒットした20年、野球界では巨人戸郷翔征投手(20)が、大ブレークを果たした。8勝をマークし、新人王候補に挙がる。高卒2年目以内で開幕ローテ入りし3戦3勝は、桑田真澄を超えて球団初。戸郷のルーツとは? 母ヒトミさんの話を元に、宮崎・都城周辺を巡り「強くなれる理由を知った」。見えてきたのは「9本の柱」だった。【取材・構成=久永壮真】

 
 
巨人対ヤクルト 優勝トロフィーを手にする戸郷(中央右)(撮影・井上学)
巨人対ヤクルト 優勝トロフィーを手にする戸郷(中央右)(撮影・井上学)

<親柱>長距離トラック運転手の父健治さんと看護師の母ヒトミさんの間に生まれた。職業柄生きることの大変さを日々、目の当たりにする母の口癖は「生きててくれたらそれだけでいい」。多くは望まれなかったが、名前にはある思いが込められた。「好きなことをやって、その中で1番を目指してほしい」。2歳上で現在自衛官の兄“悠”大さんと“翔”征の頭文字をとると「ゆうしょう」。期待を背負った。

家族で熊本旅行に行った際の1枚。巨人戸郷(右)と兄悠大さん(左)と父健治さん(母ヒトミさん提供)
家族で熊本旅行に行った際の1枚。巨人戸郷(右)と兄悠大さん(左)と父健治さん(母ヒトミさん提供)

<遊柱>戸郷は「朝早く起こされて」と、午前5時に家を出て旭ケ丘運動公園に向かった。麓には陸上競技場、中腹には遊具、野球場があり、頂上に自由広場があった。当時幼稚園生だった戸郷のメインは野球ではなく、道中でのカブトムシ捕り。700メートルほどの道のりを1時間ほどかけて頂上まで登り、父と兄と野球を楽しんだ。

巨人戸郷翔征が幼少期に遊んだ旭ケ丘運動公園の中腹の野球場(撮影・久永壮真)
巨人戸郷翔征が幼少期に遊んだ旭ケ丘運動公園の中腹の野球場(撮影・久永壮真)

<鯉柱>沖水川で3歳頃から祖父と趣味の釣りを始めた。蒸したサツマイモを餌に1メートル以上のコイを釣り上げ食した。戸郷は「焼き芋だと針から抜けちゃう。ふやけるくらいがいい。それがコツです」。自宅の庭に置いたおけの中で泳がせ、泥抜きした後に食べるのだが「食べたらしいんですけど、記憶にないです。ちゃぷちゃぷ遊んでた記憶しかない」と幼かったため、覚えていない。

小学生時代の巨人戸郷翔征が釣りをした沖水川(地図2)(撮影・久永壮真)
小学生時代の巨人戸郷翔征が釣りをした沖水川(地図2)(撮影・久永壮真)
プロ入り直前に釣りを楽しむ巨人戸郷(母ヒトミさん提供)
プロ入り直前に釣りを楽しむ巨人戸郷(母ヒトミさん提供)

<川柱>沖水川が流れ、めがね橋がかかる矢ケ渕公園には「かっぱ伝説」がある。同公園でよく練習後にアイシングを兼ね泳いだ。氷水のような冷たさで、深いところだと水深3メートル以上はあるだろう。心配する母をよそに恐れることなく泳ぎ回った。年上の強打者相手にも、ものおじしない性格が養われた。

小学生時代に巨人戸郷が泳いだ沖水川が流れる矢ケ渕公園には、めがね橋がかかる(地図3)(撮影・久永壮真)
小学生時代に巨人戸郷が泳いだ沖水川が流れる矢ケ渕公園には、めがね橋がかかる(地図3)(撮影・久永壮真)

<転柱>三股西小(地図4)1年時に野球を始めた。元々父は一塁手で兄が三塁手だったため、ポジションがかぶるのが嫌で捕手を希望。小学6年時には上長飯小(地図5)に転校。当初進学予定だった中学校は生徒が約800人のマンモス校で、野球部員は100人ほどいたため、両親は「普通の環境で野球をやらせてあげたい」と車で10分ほどの距離に引っ越した。

三股ブルースカイ時代、捕手を務める巨人戸郷(母ヒトミさん提供)
三股ブルースカイ時代、捕手を務める巨人戸郷(母ヒトミさん提供)
三股ブルースカイ時代に捕手を務める巨人戸郷(母ヒトミさん提供)
三股ブルースカイ時代に捕手を務める巨人戸郷(母ヒトミさん提供)

<遠柱>妻ケ丘中・武田監督(当時)は、戸郷の遠投姿を見て、中学2年時に投手一本へ導いた。遠投はグラウンドの端から80メートル先の校舎に向かって投げた。戸郷はいつも3階建ての校舎上部まで届き「1回校舎を越えちゃいました」。投球フォームは現在と同じアーム式だったが、同監督は「中学生は自分の体にあった投げやすい投げ方が一番」といじらず。父健治さんの「矯正をしてケガして、野球人生が終わるのはかわいそう。そのままやって、ダメになる方がいい」という方針と合致した。

巨人戸郷が通った妻ケ丘中学校のグラウンド(地図6)(撮影・久永壮真)
巨人戸郷が通った妻ケ丘中学校のグラウンド(地図6)(撮影・久永壮真)

<漫柱>ゲームや漫画にはまらなかったが、野球漫画「メジャー」だけには熱中した。ともに100マイルの直球を投じる主人公茂野吾郎とジョー・ギブソンに憧れ「こんなストレートを投げたい」と目標にした。ちなみに「鬼滅の刃」については名前しか知らない。

妻ケ丘中学校時代の巨人戸郷(母ヒトミさん提供)
妻ケ丘中学校時代の巨人戸郷(母ヒトミさん提供)
妻ケ丘中学校時代の巨人戸郷(母ヒトミさん提供)
妻ケ丘中学校時代の巨人戸郷(母ヒトミさん提供)

<兄柱>オリックスの若きエース山本由伸から都城高校への入学を勧められていた。兄悠大さんと山本は都城高校の同学年。悠大さんはラグビー部に属し、運動部同士で仲が良かった。山本から「一緒に野球しようぜ」と声をかけられていたが、戸郷は「お兄ちゃんと同じ高校というのがちょっと…」と聖心ウルスラ学園に進学した。

顔に落書きをして遊ぶ幼少期の巨人戸郷(左)と兄悠大さん(母ヒトミさん提供)
顔に落書きをして遊ぶ幼少期の巨人戸郷(左)と兄悠大さん(母ヒトミさん提供)
幼少期の巨人戸郷翔征(左)と兄悠大さん(母ヒトミさん提供)
幼少期の巨人戸郷翔征(左)と兄悠大さん(母ヒトミさん提供)

<温柱>「みんなに行ってほしい町ランキング1位です」と戸郷は誇った。母ヒトミさんは「都城は人がみんないいんですよ。常に誰かが見守ってくれている感じ」と言った。道を聞けば答えてくれた。そして世間話で楽しませてくれた。故郷・都城は温かさのある自慢の町だった。

小学生時代の巨人戸郷が泳いだ沖水川(撮影・久永壮真)
小学生時代の巨人戸郷が泳いだ沖水川(撮影・久永壮真)
巨人戸郷が幼少期に遊んだ旭ケ丘運動公園の道中には、「ばか桜」と呼ばれる季節外れの桜が咲いていた(撮影・久永壮真)
巨人戸郷が幼少期に遊んだ旭ケ丘運動公園の道中には、「ばか桜」と呼ばれる季節外れの桜が咲いていた(撮影・久永壮真)