日本ハム浦野博司投手(31)が、涙の現役ラスト登板で7年間のプロ野球人生を全うした。オリックス22回戦(札幌ドーム)の7回2死、通算101試合目の最後のマウンドへ。投球前から目頭を熱くしながら、最後はフォークで空振り三振を奪った。チームも投打ががっちりかみ合う快勝で、誰からも愛された右腕のラストゲームを飾った。

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現役最後の登板の約6時間前、浦野は球団事務所で引退会見に臨んでいた。まだ、涙はなかった。信念を貫き、潔くユニホームを脱ぐ決意を、力強く言った。

浦野 「やれる、やれる」というのは誰もが思うこと。僕は、プロ野球は、そうではないと思っている。「やらなきゃいけないところ」。僕は、できなかった。試合で結果が出ず、1軍の力になれなかった。

今季は1軍昇格なし。直球も140キロ台後半が出なくなり、変化球のキレも鈍ったと感じていた。「結果が全てです」。2軍戦でも納得のいく投球ができず、引き際を決めた。

6時間後。7回2死無走者で出番が来た。「自然に涙が出ちゃいました」。最後だと思うと、気持ちが制御できなくなった。マウンドへ向かう途中から、視界がゆがんだ。「かみしめながら、投げていました」。初球は143キロ直球。2球で追い込むと、決め球のフォークで空振り三振。「もう泣くまい」と思ったが、振り返ると外野から大田、杉谷、西川が笑顔で駆け寄ってきた。「我慢できなくなった」。再び涙はあふれた。

野球人生の支えにしてきたのは、父が言った「ケガも実力のうち」という言葉。チームが日本一になった16年は右肩痛で登板なし。心が折れそうな時は何度もあったが「その言葉があったから、今までできた」。球団からは来季、チームスタッフとしての契約を要請される見通しだ。浦野は今後について「もう1回(現役を)やります…とは、言いませんよ」と笑った。そして「幸せな野球人生だったかな」。最後は笑顔で、区切りを付けた。【木下大輔】

◆浦野博司(うらの・ひろし)1989年(平元)7月22日生まれ、静岡県出身。浜松工から愛知学院大、セガサミーを経て、13年ドラフト2位で日本ハム入団。14年4月5日ロッテ戦(QVCマリン)で初登板。同年4月23日ソフトバンク戦(東京ドーム)で初勝利。15年に右肩を負傷し、翌16年は1軍登板なし。17年5月5日オリックス戦(京セラドーム大阪)で695日ぶり復活勝利。18年には一時抑えも務めた。今季推定年俸2800万円。179センチ、70キロ。右投げ右打ち。