ロッテ益田直也投手(36)がプロ通算250セーブを挙げた。プロ15年目のベテランは日々成長し続け、さまざまな苦難を乗り越えてきた。一つの節目を迎えるにあたり、これまでの野球人生を振り返り、「自分年表」を作ってもらった。※年齢は数え年【星夏穂】
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◆2008年(平20)『恩師に出会う』
関西国際大の鈴木英之監督、投手コーチと野手コーチですね。
-そこで教えてもらったことが今でも残る。
投手としての全てをこの4年間で学んだ。この4年間は僕のピッチャーとしてのスキルが全て詰まってるかなと思います。
-監督にはどのような教えを
「大学生に打たれてるようじゃプロなんかなられへん。お前、今、阿部慎之助とか抑えられるか」って言われて。「その自信がないんだったらプロ行きたいなって言うな」って言われながらずっとやってました。
-プロ入りへの思いも強くなった
プロに行くならこうあるべきだみたいなことはここで学びました。メンタル的な部分もそこで結構養えたかなっていうのはあります。
◆11年『同学年4人で入団』
これが一番僕の中では大きくて。僕以外3人はジャパンでキャプテン(鈴木大地)とエース2人(藤岡貴裕、中後悠平)だった。育成もいなかったので、彼らについていくのに必死でやってました。メディアがたくさん3人には行くんですけど、僕のところには全く来なかった。新人合同自主トレの時も、浦和からロッテの寮帰るのに自転車で2、3分。皆はサインくれってファンの人にばーって言われて、僕だけで先に寮着いて待つみたいな。
-目の当たりにして
いやでもしょうがないと思ってたし、それも大学の監督とかにそうなるのは目に見えてるけど、「同級生なんやし、プロ入ったら一緒やねんから順位も関係ないし頑張れ」って言われてて、内にはそういうものを秘めて必死にやってました。
◆12年『サブローさんに怒られた』
オールスター前の楽天戦ぐらいであんまり調子よくなくて、結構点取られてたんですけど、その時に投げ終わって、その日も点取られて、サブさんに呼ばれて、「お前怖いんか。背中が弱い。あんなんじゃ野手誰も守ってくれへん、もっと堂々と投げろ。弱い姿見せんな」って。「お前うちのチームの8回投げてんねんから、もっとしっかりやれ」って言われて。そのまま8回表終わって、8回裏に監督とヘッドの間に行かされて、「そこで声出しとけ」って言われたのを覚えてます。
◆12年『里崎さんにも怒られた』
試合中に「しっかり投げろ。どこ投げてんだこら」ってゲーム中に言われてました。気持ちも強くならなあかんなと思って。サブローさんに怒られた後は、サト(里崎)さんにフォローしてもらいました。サトさんには「この順位にいられるのは、まっすーが頑張ってくれたおかげなんやから、後半また切り替えて頑張ろう」みたいな感じで言ってもらいました。
◆13年『一番大切なのはストレートだと気がついた』
カットとか投げ出して、16年は多く試合で投げて防御率も良くてうまくいった。でも17年あんまよくなくて、16年に良くなったのも15年ぐらいから練習しだして、16年にやっとよくなった。結局、17年カット投げて、真っすぐ良くなくなって、スピードも落ちて「まっすぐをもう1回見直したらいいんじゃないか」って井口さってんに言われて。また、18年から少し良くなって、19年に本当によくなった。だんだん僕、球速くなってるんですけど、やっぱり変化球ってうまくかわせるものだと思うんですけど、かわすんじゃなくて、もう1回真っすぐを見つめ直して、良くなっていったって感じです。
◆19年『ロッテで優勝するためにFA権を行使せず残留を決めた』
お世話になった球団で、ロッテじゃなかったらここまでこられてない。あんまり考えてなかったですけども、早い段階で決まってた。他の球団の評価も聞いてみたかったけど、あんまり周りにも相談してないです。
◆32年『引退』
毎年50試合投げたら。1000試合以上投げられてる。そしたら十分。39歳までは50試合投げたい。それで、950試合ぐらい。41歳、42歳でちょっとずつ投げて、がイメージですね。
-その期間はもちろん毎年優勝が目標
1回優勝したら、勝ち方って、わかると思うんですね。一番しんどいところで勝たなあかんとか、やらなあかんみたいな。僕らみんなで徐々に経験してきてると思うんで、火事場の底力みたいな、ちょっとみんなついてきてるなと思いますね。



