巨人、阪急の元投手で、現役引退後は阪急とオリックスの球団マスコットを演じて人気を博した島野修(しまの・おさむ)氏が8日午前、脳出血のため兵庫・西宮市内の病院で死去したことが11日、分かった。59歳だった。葬儀・告別式は遺族の意向により、10日に近親者のみで執り行われた。

 島野氏は神奈川県出身で、武相高から68年のドラフト1位で巨人に入団した。同期入団組には阪神星野仙一シニアディレクター(SD)、山本浩二元広島監督、阪神田淵幸一OB会長らがいた。巨人指名の希望がかなわなかった星野氏が、名前を読み違えたのではないかと語ったというエピソードがあった。

 巨人では1勝に終わり、76年に阪急(現オリックス)へ移籍、78年に引退した。引退後は81年から18年間阪急のマスコット人形ブレービー、オリックスのネッピーを演じた。77年、ハワイ優勝旅行でパンツ1枚になって山本リンダの「こまっちゃうな」を振り付きで歌ったサービス精神が買われ、縫いぐるみを着ることになった。98年10月3日、グリーンスタジアム神戸(現スカイマークスタジアム)での近鉄戦で“現役”を引退。マスコットとして通算1175試合に連続出場。その後は04年3月まで球団職員として野球振興にあたった。

 当時、球団の営業担当として一緒に球場を盛り上げた大阪シティドームの花木聡事業本部部長(47)は「いつも汗びっしょりで、控室でいつもヤカンの冷えたお茶を飲んでいた。素の時に食事で隣にいた子供が(阪急マスコットの)ブレービーに会いに来たと話しているのを聞き、うれしそうにしていたのが印象的でした」と話した。通算成績は24試合登板、57回1/3で1勝4敗、防御率5・05だった。

 [2010年5月12日8時46分

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