天国から見守ってください-。FAで中日からソフトバンクに入った中田賢一投手(31)が2日、連投となるブルペンで120球を投げ込んだ。前日1日、プロ入り時の担当スカウトだった中日の渡辺麿史(たかふみ)九州担当スカウトが急性白血病のため死去。無名時代から目をかけ、プロの夢をかなえさせてくれた恩人に、新天地での活躍をあらためて誓った。

 中田は寂しい気持ちを忘れさせるかのようにミットだけに集中した。ブルペンで前日の42球を大きく上回る120球を投げ込んだ。途中から打席に立った李大浩を内角球でのけぞらせる場面も。「(何球か)見ていて制球がすごいと思った」。韓国の大砲をうならせた。

 変化球も試運転。初めて受けた4年目捕手の拓也を「フォークがすごかった。ベースの前で急激に落ちる」と驚かせた。秋山監督もネット裏から見守る中、鬼気迫る表情で投げ続けた。

 前日夕方、宿舎の食事会場で渡辺スカウトの訃報を聞いた。「1人でへこんでいました。渡辺さんがいないと今の僕はいない」。一般企業に就職しようと北九大に進学した中田をプロに導いてくれたのが渡辺スカウトだった。大学1年の時から大学を熱心に訪れた。3年生だった03年秋から冬にかけ、右内転筋を痛めていた時も毎日のようにグラウンドに顔を出してくれた。

 「僕が『ほかのところいかなくていいんですか』と聞くと『今年は中田1本で行くから』と言われすごく力になりました」

 渡辺スカウトの熱意に打たれ中田も中日を希望。翌年春の九州6大学リーグで39年ぶりの優勝に導き、秋のドラフトでは相思相愛の形で中日から2位指名を受けた。

 「ここでのプレーを見せたかった」。福岡・久留米市に在住だった渡辺スカウトをヤフオクドームに招きたかった。昨年11月末、FAで移籍を決める前日に電話で話したのが最後となった。

 「『チームが変わるけどしっかりやるように』と。体が悪いことは知っていたが、声が普通だったので。まだ受け入れられません。元気な渡辺さんの姿しか浮かんでこない」

 明日4日の葬儀・告別式にはキャンプ中のため参加できず、北九州市在住の母に行ってもらう。開幕ローテーションを勝ち取ることが、快く中日から送り出してくれた恩人の最後の言葉「しっかり」に応えることとなる。【石橋隆雄】<中田賢一(なかた・けんいち)アラカルト>

 ◆生まれ

 1982年(昭57)5月11日、北九州市生まれ。

 ◆経歴

 永犬丸小3年からソフトボールを始め、沖田中では硬式の「上津役ロビンス」に所属。八幡では3年春の県8強が最高で、北九大へ。

 ◆KK8

 42~43センチと太いふくらはぎのルーツは大学時代に「KK8」と呼んだメニューある。大学近くの鷲峯山の頂上にある観音像まで走り、急勾配の243段の階段を8本連続で駆け上がる。観音像の「K」と、階段の「K」から名づけられた練習だった。

 ◆プロ

 04年ドラフト2巡目で中日入団。エース番号20を与えられ、05年4月15日阪神戦でプロ初勝利。07年には初の2桁となる14勝(8敗)を挙げた。昨季は先発、中継ぎとして40試合に登板。4勝6敗、防御率3・40。

 ◆サイズ

 180センチ、78キロ。右投げ右打ち。