プロレス界の輝く女性たちを紹介する企画第2弾は、新日本プロレスで外国人レスラーの通訳を務める小池水須香(みずか)さん(43)。各レスラーのキャラクター、言い回しを適切に伝える通訳の極意、これまでの歩みなど、普段裏方に徹する小池通訳の素顔に迫った。【取材・構成=高場泉穂】

新日本プロレス外国人レスラーの通訳を務める小池水須香さん
新日本プロレス外国人レスラーの通訳を務める小池水須香さん

現在、新日本プロレスでは多くの外国人レスラーが活躍する。彼らがリング上、バックステージ、会見で発するコメントはすべて英語。それを逐一訳するのが小池さんの仕事だ。

小池さんは「選手が持つ世界感を壊しちゃいけない。そのまま伝えたい」と、常に記者と並んで試合を注視。試合後は選手のそばでコメントを聞きながら、重要な単語だけをぽつぽつとノートに記し、すかさず日本語に変換する。英国生まれで知的なザック・セイバーJr.なら「~じゃないかな」と品ある言い回しに。ヒールでひたすら悪態をつくジェイ・ホワイトなら「俺が~」「~だぜ」と粗野な感じに仕上げる。小池さんの巧みな日本語通訳があってはじめて、我々は選手のストーリーを理解することが出来る。

英国生まれで知的なザック・セイバーJr
英国生まれで知的なザック・セイバーJr
ジェイ・ホワイトはヒール役で粗野な感じ
ジェイ・ホワイトはヒール役で粗野な感じ

流ちょうな英語の土台は小学校卒業後に入ったハワイ・オアフ島の学校で作られた。「小学校ではあまり学校に行かないドロップアウト組だったんです。母は教員免許も持っていたので、『小学校の勉強なら教えられる。無理して行かなくていいよ』と言ってくれて。たまたま母にハワイ出身の知り合いがいて、『この先、最低限英語が話せればどうにかなるんじゃない?』と。それでハワイに行ったら(学校に)なじんでしまいました」。

ダイヤモンドヘッドの麓の女子校で4年弱学び、帰国後は横浜のインターナショナルスクールに進学。上智大に入学すると同時に、テレビ局での通訳の仕事を始めた。手伝っていたTBS系「筋肉番付」のスタッフが後にK-1など格闘技イベントに流れ、さらに格闘技ブームも到来。多くの依頼が舞い込み、そのままフリーの通訳として独立した。特にUFCでは、先にふわふわした丸い物体を付けた“アフロペン”を持つ美人通訳として格闘技ファンによく知られる存在となった。小池さんは「大学を出てから今まで紅白(歌合戦)を見ていません。ボクシング、その前は必ず格闘技の大会。通訳の仕事を始めてから、大みそかを家でゆっくりすごしたことがないです」と笑う。

新日本で本格的に通訳を始めたのは16年秋から。それまでバトル関係の通訳経験は豊富だったが、プロレスはほとんど「知らなかった」。最初は試行錯誤の連続だった。「最初は主にケニー・オメガ選手の通訳をしました。あの人はコメントも長いし、世界観のあるスピーチをする。だから、一語一句逃さず訳さないと彼が考えている内容と沿わなくなってしまう。そういう緊張感はありました」。

20年以上プロの通訳をしてきた小池さんでも、訳し方に迷うことが今でもよくあるという。「昨年末、東京ドーム大会に向けた記者会見をした時、ケニーが棚橋さんのことを英語で『piece of shit』って言ったんですよ。直訳だと、くそのかけら。ただの『shit』だと『くそ野郎』となるんですが、少しニュアンスが違う。迷って出てきたのが『あの、ポンコツ野郎』というフレーズでした。ニュアンスが合っているかなと思いながら発したんですが、その『ポンコツ野郎』という言葉が、その後の試合前のVTRなどでも使われちゃって、言葉1つ1つの重みを感じました。でも、ひろってもらって面白く使われたから、良かったかな、って(笑い)」。

ケニー・オメガはコメント長くストーリーも一番
ケニー・オメガはコメント長くストーリーも一番

新外国人選手が続々と参戦し、海外での大会も年々増加。日本選手の言葉を英語に訳すなど、新日本での小池さんの活躍の場はどんどん増えている。プロレスの仕事は「すごく楽しいです」と小池さん。新日本プロレスと世界中のファンの橋渡しを続けていく。

◆小池水須香(こいけ・みずか)1976年(昭51)埼玉県和光市生まれ。11歳で単身ハワイに留学。15歳で帰国後、横浜市のインターナショナルスクール-上智大比較文化学部を卒業。大学在学中からテレビ局の通訳、翻訳の仕事を始める。現在はフリーの通訳としてUFC、ボクシング、ゴルフ、NBAなど、さまざまなスポーツの現場で活躍する。