5人の王者が並ぶとやはり壮観だ。三迫ジムにとって現役最多を更新する日本王者が誕生した。昨年1月のミニマム級田中教仁(34)、昨年2月のライトフライ級堀川謙一(39)、7月のバンタム級鈴木悠介(30)、17年10月のライト級吉野修一郎(27)にフェザー級佐川遼(25)が加わった。鈴木が王座獲得時でジム最多だった。躍進著しい。

プロボクシングは1人が年間3、4試合程度しかできない。他競技も当たり前になったが、昔からランキングというシステムで、マッチメークという独特方法で試合を決める。1試合の重み、勝ち負けが大きい個人競技。相乗効果はあるが、これだけ同時はなかなかない。

佐川は天才肌の阿部麗也(26=KG大和)に判定勝ちした。下馬評を覆す9戦目での王座獲得は3-0の判定。採点は1、2ポイント差だったが、スコア以上の完勝だった。東農大出身で技術力は認められていたが、阿部は日本王座挑戦前に世界ランク入り。前回の初挑戦は引き分けも、センスのよさは高評価だった。

佐川は長身でリーチを生かし、先手でジャブを突き、右ストレートを打ち込み、阿部に入り込ませなかった。地味な技術戦にはなったが、作戦を遂行しきった。文句のつけようのない勝利だった。

ジムは毎月1日にプロ全選手が集合してミーティングを開いているそうだ。三迫貴志会長を中心に選手からも忌憚(きたん)のない意見をかわす。プロの個人競技では珍しいが、ジムの結束力となり、5人王者誕生にも結びついたと言えるだろう。

加藤健太トレーナー(33)の存在も大きそうだ。プロボクサーだったが網膜剥離で引退し、12年から三迫ジムのトレーナーになった。他ジムながらも東京を練習拠点に移したWBC世界ライトフライ級王者拳四朗(BMB)も指導。現役では最多の6度防衛中が、その指導能力の高さを示している。

名門ジムと言えば、歴史と実績=世界王者を何人輩出したかがバロメーター。協栄ジム13人、帝拳ジム12人、ヨネクラジム5人、角海老宝石、ワタナベ、大橋の3ジムが4人輩出し、三迫ジムなどが3人で続く。

8月に大会長と呼ばれた三迫仁志会長が亡くなった。輪島功一らを育て、プロモーターとして手腕を発揮した。昭和の時代は協栄、帝拳、ヨネクラと4大ジムが引っ張った。平成だった2年前にヨネクラは閉鎖。令和となった現在、4つのジムの世界王者はWBAミドル級の村田諒太しかいない。

14年に跡を継いだ長男貴志会長も海外で積極的にマッチメーク。佐川も前戦でマニラでの地域王座獲得が成長にもつながった。移籍組のベテランも多いが、日本は世界へのステップも共通認識。世界再挑戦を期すライト級小原佳太もいる。三迫が名門復活と言えるか、本当の勝負はこれからの勝負となる。【河合香】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「リングにかける男たち」)