新日本プロレスで、デビュー11年目の内藤哲也(34)が大ブレークした。米プロレス団体のWWEに移籍した中邑真輔ら主力離脱の窮地を救った。成功の裏には一発逆転の発想の転換と、新日本が選手に推奨してきた自己プロデュースの結実があった。

 どん底の内藤を変えたのは昨年5月のメキシコ遠征だった。「次世代のエース」と期待されながら後輩のオカダに抜かれ、地方会場ではブーイングも浴びた。そんな中で出会ったのが、メキシコの団体CMLLで暴れていたロスインゴベルナブレス(スペイン語で制御不能なやつらの意味)という名のユニットだった。

 善玉(ベビーフェース)にも悪玉(ヒール)にも属さない、自由で奔放なプロレスを展開する彼らを見てユニットに加入。「お客さまが求めるものを気にしながらやってきたが、自分がやりたいことをやって、あとはお客さまに判断してもらうという考え方に変わった」。発想を転換した内藤はヒールに転向して帰国。やる気のないポーズやレフェリーへの襲撃など勝手気ままなパフォーマンスを繰り広げた。

 木谷オーナーにかみつき、オカダや棚橋らを挑発し、経営者対労働者、エリート対雑草の構図を作り出した。リング上から好きか嫌いかを観客に問いかけ、共感する熱いファンを増やしていった。新日本が年間約10億円を売り上げたグッズのうち、内藤関連は約20%に上る。入場時にかぶるキャップは他選手の20倍もの生産態勢でも追いつかないという。内藤人気で入場者数は昨年を上回り、2月にWWEに移籍した中邑の穴を完全に埋めてしまった。

 内藤は入場時のTシャツやスーツ着用など、自分の見せ方やマイクアピールにもこだわった。それは、新日本が積極的に取り組んできた、選手への自己プロデュース推奨を見事に体現した形となった。16年度のプロレス大賞MVP受賞が、大ブレークの何よりの証しだ。「根本的にはオレは何も変わっていない。ただ表現をちょっと変えただけで、ここまで景色が変わるのかと」。一躍新日本のトップスターになった内藤はこの1年の大きな変化を今、実感している。【桝田朗】

 ◆内藤哲也(ないとう・てつや)1982年(昭57)6月22日生まれ、東京都足立区出身。05年11月、後楽園ホールでの公開入門テストでただ1人合格。06年5月27日、宇和野貴史戦でデビュー。13年G1クライマックスで初優勝。16年4月にオカダからIWGPヘビー級王座を初奪取。今年9月にはIWGPインターコンチネンタル王座を獲得。NEVER無差別級王座(13年9月)と合わせ、史上初の3大タイトル獲得者となる。プロ野球広島の大ファン。180センチ、102キロ。