日刊スポーツの記者が自らの目で見て、耳で聞き、肌で感じた瞬間を紹介する「マイメモリーズ」。サッカー編に続いてオリンピック(五輪)、相撲、バトルなどを担当した記者がお届けする。

   ◇   ◇   ◇

辰吉丈一郎が「勘違い君」と言えば、薬師寺保栄は「思い上がり君」と返した。ボクシングで世紀の一戦と言えば、やっぱりこれ。WBC世界バンタム級王座統一戦で、94年12月4日に名古屋で激突した。対戦前は舌戦が前代未聞の過熱ぶりで、一言で記事になった。

辰吉が前年に暫定で王座を奪回したが、当時の国内ルールでは引退の網膜剥離と判明した。薬師寺が代役で正規王座を奪取して2度防衛。その間に辰吉が海外で復帰すると、WBCから対戦指令が出され、国内復帰も特例で認められた。

因縁に中継テレビ局の違いで、両陣営とも興行権を譲らず。共催案も分裂でついに入札になると、米プロモーターのドン・キング氏も参戦する事態に。薬師寺陣営が342万ドル(約3億4200万円)とヘビー級以外の最高額で落札した。辰吉陣営は237万9999ドル、キング氏は320万1500ドルだった。

薬師寺陣営は赤字削減へ強硬手段に出た。ポスターやプログラムは薬師寺中心で辰吉は片隅。入場券1万1000人のうち辰吉陣営には3000枚だけで、グッズ販売、恒例の太鼓応援も禁止した。薬師寺陣営がファンクラブ結成に約3000人が入会したが、半分は隠れ辰吉ファンの入場券目当てだった。

薬師寺のクリハラ・トレーナーが「欠点が6つある」に、辰吉は「486個」と返した。「ヤックン(薬師寺)のダンスとキラキラの服が楽しみ。判定なら勝ちにしてあげる」と上から目線。薬師寺は「ベルトに偽物と書いて」と言い、公開練習ではあちこちサポーターやドーピング疑惑を口にし、陽動作戦も繰り広げた。

試合は辰吉が前に出るが、薬師寺が左ジャブと手数でリードした。両者とも流血。辰吉は両目を腫らせながら、終盤に反撃した。クリンチも少ない激戦も、2-0の小差判定で薬師寺の手が上がった。

1ポイント差のジャッジ1人は日本人だった。12回は唯一10-10のイーブンと採点した。残るジャッジ2人のこの回は辰吉10-9で、3人が同じだったら判定は1-0で引き分け。異議を訴える辰吉陣営もいた。

実は辰吉が左拳を痛めていたが、素直に完敗を認めた。終了ゴングが鳴ると抱き合って発言を謝り、判定が下ると薬師寺を抱き上げた。薬師寺も勝って言い返すはずが、最強だったと応えた。挑発合戦からクリーンなファイトとエンディングが脳裏に刻まれた。

両陣営の争いで笑ったのが、振込手数料をどちらが払うかでもめたこと。ファイトマネーは五分の1億7100万円で、マネジメント料33%を引いても1億1457万円。辰吉は日本人最高額となった。

薬師寺は違った。当時は試合後の報告書が公表され、2500万円と判明した。後援者のボーナスはあったが、地元での開催優先へ抑制を受け入れ、初の日本人統一戦勝者という栄冠を手にした。舞台裏も実に濃密で面白く、まさに世紀の一戦と言えた。【河合香】