新日本プロレスは3月6日に旗揚げ50周年を迎える。創設者は今年2月20日に79歳を迎えたアントニオ猪木氏。72年に団体を旗揚げし、プロボクシング世界ヘビー級王者ムハマド・アリ(米国)との異種格闘技戦など、数々の名勝負を繰り広げた。

<日刊スポーツが選ぶアントニオ猪木・思い出の名勝負ベスト10>

(1)タイガー・ジェット・シン戦(74年6月26日、大阪府立体育会館)猪木は6日前にシンの火炎攻撃で左目をやけどしていた。同じ3本勝負のこの試合もシンの鉄柱攻撃などで1本目は両者リングアウト。大流血した猪木は2本目に怒りが爆発。執拗(しつよう)なショルダー・アームブリーカーでシンの右腕を折った。最後は外国勢総出で試合を止め、猪木のTKO勝ちとなった。

(2)ストロング小林戦(74年3月19日、蔵前国技館)国際プロレスのエースで、IWA王者だった小林との一騎打ちは「昭和の巌流島の決闘」と注目され会場は満員札止め。試合は団体のプライドをかけたエース同士の息詰まる攻防の末、猪木が原爆固めで勝利。第1回プロレス大賞の年間最高試合に選出された。

(3)ドリー・ファンクJr戦(69年12月2日、大阪府立体育会館)猪木が当時世界最高峰と呼ばれたNWA王者ドリー・ファンクJrに初挑戦。試合巧者の王者に真っ向勝負を挑み、3本勝負で1本も許さず、60分フルタイムドロー。王座奪取はならなかったが、猪木の高い潜在能力を世界に示した一戦だった。

(4)ウィレム・ルスカ戦(76年2月6日、日本武道館)72年ミュンヘン五輪の柔道で重量級と無差別級を制したルスカと、初の異種格闘技戦に臨んだ。ルスカの投げや絞めなどの柔道技に、猪木はエルボーなどの打撃技やコブラツイストで応戦。最後はバックドロップ3連発で金メダリストをマットに沈めた。

(5)アンドレ・ザ・ジャイアント戦(76年10月7日、蔵前国技館)「格闘技世界一決定戦」と銘打って行われた一戦。開始から2メートル20センチ、230キロの大巨人のパワーに圧倒されたが、リバース・スープレックスでアンドレを投げるなど応戦。最後はパンチ攻撃と、鉄柱への頭突きの誤爆を誘うなど、アンドレが額から大流血したため猪木のTKO勝ちとなった。

(6)ザ・モンスターマン戦(77年8月2日、日本武道館)全米プロ空手の世界ヘビー級王者と3分10回ルールで対戦。多彩なパンチとキックに苦しめられたが、ナックルパンチで逆襲、体ごと持ち上げて頭からリングにたたきつけ、とどめのギロチンドロップを浴びせて失神KO勝ち。猪木の異種格闘技戦の中でも屈指の名勝負と言われている。

(7)スタン・ハンセン戦(80年9月25日、広島県立体育館)猪木はハンセンと何度も名勝負を繰り広げてきた。猪木のNWFヘビー級王座をかけたこの試合は10分過ぎ、ハンセンが必殺技のウエスタンラリアットに合わせて、ジャンプして左腕でラリアットをたたきつけた。猪木が「逆ラリアット」として語り継がれる一戦になった。

(8)ビル・ロビンソン戦(75年12月11日、蔵前国技館)“人間風車”の異名を取ったロビンソンとのテクニシャン同士の一戦は夢の対決として話題になった。猪木は3本勝負の1本目は逆さ抑え込みで奪われたが、2本目に卍(まんじ)固めを決めたところで時間切れ引き分けとなった。この試合を猪木のベストファイトに挙げる声が多い。

(9)ウィリー・ウィリアムス戦(80年2月27日、日本武道館)極真空手の強豪で“熊殺し”の異名を取ったウィリアムスとの一戦は試合前から殺気立っていた。4回に猪木がウィリアムスに腕ひしぎ逆十字固めを決めた状態で両者場外に転落すると、両陣営が乱入して大混乱となり、猪木は肋骨(ろっこつ)、ウィリアムスは左ひじを負傷して、両者ドクターストップの裁定が下された。

(10)ハルク・ホーガン戦(83年6月2日、蔵前国技館)第1回IWGP決勝戦で猪木はパワーで上回るホーガンに圧倒された。バックドロップで後頭部を痛打し、場外で背後からホーガンの必殺アックスボンバーを浴びて鉄柱に激突。最後はリングに入ろうとしたところを再びアックスボンバー直撃で場外に転落。失神したまま起き上がれず、病院送りとなった。