猪木さんは17年に2度「INOKI 『ISM』」と題した格闘技の大会を開催した。その中で、格闘技界に新たな、真のスターが誕生することを熱望した。それが、晩年「プロレス、格闘技が見たくない」と口にするようになった。人生そのものだったプロレスの存在を、否定するかのような言葉の裏には、プロレス、レスラー…そして日本人を、愛するが故の思いがあった。

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猪木さんは、17年7月24日に「INOKI 『ISM』」第1回を東京・後楽園ホールで開催した。1972年(昭47)3月6日の新日本プロレス旗揚げ戦のメインで対戦し、卍(まんじ)固めやジャーマンスープレックスを伝授してくれた、カール・ゴッチさんの墓を東京・荒川区の回向院に建立する資金を捻出するためだった。「リングに上がりたくないけども、熱い声援を浴びるとうれしい」と口にした猪木さんは、リング上で観客にゴッチさん直伝のアキレス腱(けん)固めを実演してみせた。

同年10月21日に東京・両国国技館で開催した「INOKI ISM.2 猪木劇場~アントニオ猪木『生前葬』~」のリング上では、こう語った。

「昔は私が1人で日本中、どこでも札止めになったんですが。格闘技界に何とかスターが生まれて…ね」

18年8月に腰を手術するなど入退院を繰り返すようになった中、日本の格闘界をどう見ているか尋ねると、こう返ってきた。

「プロレス、格闘技が見たくないんで…関わりたくない面もある」

折しも、古巣の新日本プロレスでは、オカダ・カズチカや内藤哲也ら人気選手が躍動。格闘技界でも、RIZINの人気が沸騰。那須川天心とプロボクシング元5階級制覇王者のフロイド・メイウェザー(米国)との対戦や、堀口恭司と朝倉海との戦いも話題を呼んでいた。

まず、猪木さんは現在の総合格闘技の原点は、自らが踏み込んだ異種格闘技路線だと断言した。

「ムハマド・アリ戦が、格闘技の戦いの枠を超えた異種格闘技という形になった。それまで、ボクシングが他流試合なんて絶対にあり得なかった。観念で、これは違うと分けていたものを、そうでないとしたことが新しいものを生んだ。何が強いんだというのが格闘技の原点。そこに総合とか、いろいろ名前が付いた」

その上で一言で断じた。

「私からすると、こびている」

真意を尋ねると、せきを切ったように語り出した。

「今の選手は、自分がやったぞ!と言うだけ。要するに(自分だけ)見せるということ。アナウンサーも『どうぞ、拍手を下さい、お願いします』なんて言うんだけど…嫌いでね。拍手なんか、みんなが勝手にするもんで、お願いするもんじゃない。昔は1万人も2万人も、手のひらに載っけてやると言っていた。いきがっていたのかも知れないけれど、見たくないなら見るな!というくらいの力関係があった」

では、自身が考えるプロレス、選手とは何なのか?

「私は戦後の人間です。戦後の日本は、どういう状況だったか? 国民が明日、生きる元気をプロレスが与えてくれた。(当時、主役となった)力道山も、米国に修業に行って、こんなにブームが起きるなんておそらく、考えていなかったと思いますが、戦後、1番大きな勇気づけになった」

「リングの上で勝った、負けたじゃなく、生き方全体の中で魂、スピリットが大事なんです。生を受けた以上…特に、人の目にさらされる仕事であればあるほど、メッセージ性は大事にしないといけない。行動であれ言葉であれ、化けの皮がはがれるようなメッセージではなく、真実を示す」

その上で、こう続けた。

「時代が、そういうふうになっちゃったのか…ファンの求めているものが違ってきたのかな」

猪木さんが見たいプロレスと選手…その先には、かつて日本人が持っていて失ってしまった、何かがあるのではないだろうか。【村上幸将】(おわり)