12年ロンドン五輪ボクシング男子ミドル級金メダリストで、元WBA世界同級スーパー王者の村田諒太(37=帝拳)が引退を表明した。29日から5回連載で、歴代担当記者が日本人で初めてボクシングの五輪とプロで頂点に立った拳を振り返る。

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15年11月、世界ランクを5位まで上げて臨んだ村田のラスベガス初陣を取材した。

試合の位置づけは本場関係者に名前を売り、世界戦をアピールするための“テスト”。だが、結果こそ10回判定勝ちも、格下を崩し切れない凡戦に、ファンの期待はラウンドを重ねるごとにしぼんでいった。

試合後、会場内の一室で行われた囲み取材では「他の金メダリストに申し訳ない」とうつろな目で言った。取材を終えると、黒いタオルを頭からかぶり、部屋の隅にあった椅子で肩をふるわせていた。

「ミドル級は特別」。世界的な層の厚さを表す、村田のキャリアの横に常にあった言葉だ。だが、軽量級で次々と日本人世界王者が誕生する中、世間にその事情はなかなか伝わらない。「格下との対戦ばかり」と批判され、試合で新たな技術を試そうとすると、積極性に欠けるとブーイングを浴びたこともあった。金メダリストとしてのプライドと葛藤、理想と現実のギャップが村田を迷わせた。

当時、あるイベントでファンから差し出された色紙に「忠」という漢字を書き添えているのを目にした。真意は「心に中心が2つあると『患』になる。中心は1つでいい」。自らに言い聞かせるように語る姿からは、絶対王者ゴロフキンと数年後に世界戦を行うなど、到底想像できなかった。

村田が引退会見で口にした「弱さやみにくさを克服したいという向上心が、人生なのかなと思っている」という言葉が、そんな取材当時の記憶と重なった。

「申し訳ない」とまで言ったロンドン五輪金メダルのロマチェンコ、ウシク、ジョシュアら世界的ビッグネームと同じ「五輪金→世界王者」という偉業。それは、想像を絶する重圧と向き合い、自問自答を続けた日々の先にこそあったものだと思う。中心は1つ。ボクシングへのブレない姿勢には、アスリートとしての心の強さが詰まっていた。【14~16年ボクシング担当=奥山将志】