日本相撲協会は21日、大相撲秋場所(9月12日初日、東京・両国国技館)の番付編成会議を開き、モンゴル生まれ、札幌市出身の北青鵬(本名アリューナー・ダワーニンジ、19=宮城野)の新十両昇進を決めた。名古屋場所は西幕下2枚目で7戦全勝。20年春場所の初土俵から所要7場所でのスピード出世を果たした身長2メートルの大器は、相撲の道に導いてくれた横綱白鵬と同じ、21歳での横綱昇進を目標に掲げた。北海道・雨竜町で暮らす両親も、息子の十両昇進を喜んだ。

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父エルデンビレグ・エンフテブシンさん(38)は息子が全勝で優勝を決めた名古屋場所13日目と、白鵬が全勝優勝を決めた18日の千秋楽を現地で観戦。「横綱の復帰場所に息子も優勝できて、2倍うれしい」と話した。

横綱に導かれた出世街道だった。北青鵬は、両親の語学留学のため6歳で来日。09年2月22日、当時7歳の北青鵬は、札幌から母バルハス・アリューナーさん(39)とモンゴルへ一時帰国する途中、乗り継ぎした韓国の空港で偶然、横綱白鵬と出くわした。母国の英雄と一緒に写真を撮影。その後、横綱から「15歳になったら俺のところに来い」と言われた。この言葉が角界に突き進むきっかけになった。

その場にいた母バルハスさんは「この子は小さかったし、今日の日が来るとは思わなかった。本当に運命の出会いだった」と当時を振り返る。その後、父エルデンビレグさんが札幌市内で相撲ができる少年団を探し、小2から札幌すもうスポーツ少年団に入る。その夏、札幌巡業で北青鵬は白鵬と再開し「横綱になる」と誓い、生活面から意識を変えていった。

甘い菓子などは一切食べない。飲み物は牛乳かお茶。菓子パンが嫌いで、フランスパンや食パンを、ジャムなどはつけず、そのままかじりついた。午後10時には必ず寝て、午前6時には起きる。母バルハスさんは「どうやったら背が伸び、体が大きくなるかということを小さいころから意識していました。少し早く寝れば、より大きくなるんじゃないかとか、いつもそういうことを話していました」と当時をなつかしんだ。

小4からは3年連続でわんぱく相撲全国大会、全日本小学生優勝大会に出場。着実に力をつけ中学進学の際、再び白鵬の言葉がステップアップの一助になる。「鳥取に、いい指導者がいる。行かせてみないか」。強豪・鳥取城北高との一貫指導を行っていた鳥取西中の練習を父と一緒に見学。12歳の少年は「ここでやる」と決意し、中1から親元を離れることになった。

壁にもぶち当たった。鳥取西中では団体戦レギュラーになれず3年の6月に「辞めたい」と北海道に帰ってきてしまった。失意の帰郷だった。夢をあきらめかけた8月、父に連れられ再び札幌巡業へ向かうと、横綱がいた。「なんでここにいるんだ。今、大会やっている時期だろ。頑張らなきゃだめじゃないか!」。尊敬する白鵬に一喝され、号泣。もう1度、チャレンジするために荷物をまとめ、鳥取に向かった。

中学卒業時は175センチ前後だったが、鳥取城北高進学後に一気に背が伸び2メートル近くに。高校総体準優勝などを経験し、卒業後は、白鵬がいる宮城野部屋に入門し、一気に力をつけ10代で十両まで上がってきた。父エルデンビレグさんは言う。「12歳の子どもを1人で鳥取に送り出したときは、きつかったね。お母さん、最初の1年、ずっと泣いていた。行かせなくてもよかったのかなと。でも後から考えたら、それが大正解だった」。次は白鵬と、家族と約束した横綱への階段を、駆け上がっていく。【永野高輔】

◆北青鵬治(ほくせいほう・おさむ)本名アリューナー・ダワーニンジ。01年11月12日、モンゴル・ウランバートル生まれ。6歳から札幌市で育った。鳥取西中から名門の鳥取城北高を経て宮城野部屋へ。しこ名の名付け親は白鵬。20年春場所初土俵。序ノ口、序二段、三段目、幕下の各段で優勝。得意は右四つ、寄り。202センチ、178キロ。