最高位関脇で西前頭12枚目の隠岐の海(37=八角)が、師匠の八角親方(元横綱北勝海)同席で、引退と年寄「君ケ浜」襲名の会見を行った。

冒頭で「長い間、ファンの皆さまには、たくさんの声援や激励をいただきまして、ありがとうございました。今後は年寄君ケ浜として、後進の指導にあたりたいと思います」などとあいさつ。涙を見せることなく、時折ジョークを交えながら、終始明るい表情で土俵に別れを告げた。

会見では「気持ちは楽になりました。ここ何年も自分の相撲、思い切った相撲が取れなかった。若い、上がってきた力士と相撲を取ると、ごまかしもきかない。気持ちで何とかカバーしてきたけど、最終的には自分の気持ちが切れました」ことを、引退を決めた理由として挙げた。今場所は5日目まで全敗で、6日目から休場したが「3日目、4日目ぐらい」に引退を決断。師匠に報告すると「そうか」と了承されたという。八角親方は「やり切ったなという感じがしますね。ケガとかではなく、本当にやり切って引退。思い残すことはないのでは」と、05年初場所の初土俵から、約18年間現役として戦い続けた弟子を思いやった。

思い出の一番には小結だった15年秋場所初日、白鵬を破った一番を挙げた。白鵬とは通算1勝24敗と特に合口が悪かったが、白鵬を唯一破った一番は「お客さんにすごく喜んでいただいたのを覚えています」と、鮮明に記憶している。

八角親方は「私は『立ち合いで変化するな』と指導していた。特に幕内に上がったら『相撲は勝負を見せるのではなく、相撲を見せるんだという気持ちで行け』と言っていた。それを貫き通してくれた。私が見ている限り、変化したことがない」と、正々堂々とした姿勢に敬意を表していた。

会見では師弟の軽妙なやりとりも見られ、八角親方は「最初は、今うちにいる隠岐の富士に会いに行ったし、隠岐島がどこにあるかも分かっていなかった。まさかコロナ前まで、毎年のように行く場所になるとは」と、懐かしそうに話した。初めて八角親方に会った時の印象として、隠岐の海は「全然話さなくてかっこよかった。あまり、いいことばかり言うわけではなくて。島の人間なので東京のことは分からなかったけど『この親方なら東京に行ってもいい』と思った」と打ち明けた。これに対し八角親方は「その時は20人ぐらいいる中で食事していて、単に話せなかった」と話し、会見場を笑わせた。

隠岐の海は「親方の指導が自分には合っていた。信じて稽古できた。それ以外、それ以上はない。(八角)親方のような親方になりたい」と感謝した。引退相撲は9月30日に両国国技館で行う予定だ。