安倍晋三内閣総理大臣が、突然の辞任。その2日前、私は自民党本部の幹事長室で二階俊博幹事長、林幹雄幹事長代理と昼食。夏休みで党本部は閑散としていた。が、何が起こるか分からないため、党幹部は待機する、政治家の大変さに同情しつつカレーを食う。

安倍さんとの思い出を書くことにした。まず、日体大理事長に就任してすぐに、アーチェリー部が問題を起こした。「祝勝会で20歳以下の学生もワインで乾杯!」と、デカデカと新聞に報じられる。安倍総理は成蹊大のアーチェリー部OB、心配されて電話をくださった。そこで私も知恵をしぼる。

「民法の改正が行われれば処分します。日本では男18歳、女16歳で親の許可があれば結婚できる。結婚式には三三九度の儀式があり、酒を飲む。それで処分されたと耳にしない。2度と同じ失敗をしないよう強く注意してまいります」。で、おしまい。調査を進めると、口にしただけで飲まなかったという。

政治家時代、1回目の総理に就任した安倍さんの代理として、アフガニスタンの元国王であられたザーヒル・シャー国父の葬儀に出席した。2007年7月、閣議で特別派遣大使に任命され、安倍さんから辞令をいただいた。また、文部科学副大臣に任命され、平成当時の天皇陛下から安倍総理立ち会いのもと辞令をいただく。

大臣と副大臣は認証官、天皇から辞令を受ける。ところが、しばらくして潰瘍性大腸炎で辞任され、福田康夫総理が誕生した。

やがて2度目の総理大臣になった安倍さんは、ちょくちょく電話をくれたり、総理官邸での夕食会にも招いてくれた。私は自民党の外交部会長として、インド洋に自衛隊を派遣させたりした。けっこう活躍したのである。

70歳になって叙勲の栄誉に浴した。皇居で安倍総理から直接勲章をいただき、陛下からお祝いのお言葉を賜る。感激のひとときであった。総理大臣は激務である。想像できぬ大きなプレッシャーがある。ご苦労さまと言うしかない。山口県出身の桂太郎は、3度も総理をした。安倍さんも3回目を目指すべし。