加藤剛さんが6月18日、落語家桂歌丸さんが7月2日に亡くなった。剛さんは80歳、歌丸さんは81歳だった。2人が歩んだ世界は違ったが、ある共通点がある。それは戦争体験があり、反戦への思いが強かったことだった。

 加藤さんは、木下恵介監督の映画「この子を残して」で長崎の原爆で被爆し、子どもを残して亡くなった医学博士の永井隆氏を演じ、舞台「コルチャック先生」ではユダヤ人孤児院の院長で、子どもたちを救うためナチスによってガス室に送られたコルチャックを演じ、何度も再演を重ねた。 加藤さんは戦争で身内を2人も亡くしている。1人は軍医だった義兄で、南方の島で戦死した。2番目の姉は結核を患い、戦後の食糧難の中で満足な治療も受けられず、28歳の若さで亡くなった。

 だから、改憲に走る安倍晋三首相に批判的だった。「憲法は、戦争で命を奪われた人たちの夢の形見だと思っています。多くの犠牲の上に、今の平和な世の中がある。だから私たちには、子どもたちのために憲法を守る使命があると思います」。

 歌丸さんも、戦時中の空襲で横浜の生家が焼失している。千葉に疎開し、道端の草やサツマイモばかり食べていたため、戦後になっても「私はね、サツマイモが食えねえんだよ」と話していた。

 加藤さんと同じく、安保法制をめぐって議論が沸騰した当時、テレビの報道番組のインタビューに対し、「戦争を知らない政治家が戦争に触れるなと言いたくなるんです。戦争を知らなかったら、戦争をもっと研究しろって言うんです。戦争っていうのは良い物なのか悪い物なのか、この判断をきっちりとしろって言いたくなるんです」と熱く話していた。

 毎年8月には浅草にある「はなし塚」法要を欠かさなかった。戦時中、時局に合わないとして、「明烏」など53の落語を高座にかけることを禁止された。当時の苦い経験を風化させないようにと、「はなし塚」が建立され、歌丸さんも「そのまま封印しちゃいけない。できる限り(法要を)続けていく」と使命感を持っていた。

 知性ある端正な演技で魅了した加藤さん、怪談噺で円熟味を増していた歌丸さん。その演技、芸をもう見られない喪失感がある一方で、戦時中に少年時代を過ごした数少なくなっている戦争体験者で、反戦を発信してきた2人の切実な思いを忘れてはいけないだろう。      【林尚之】