元SMAPのタレント中居正広(47)が21日、都内で会見し、ジャニーズ事務所を3月末で退所することを明らかにした。

SMAPは2016年(平28)12月で解散。木村拓哉(47)と中居正広は事務所に残ったが、稲垣吾郎(46)草なぎ剛(45)香取慎吾(42)3人は17年9月に同事務所から独立し、新たな事務所に所属していた。

24歳の中居がSMAPやメンバーへの思いを熱く語った96年の記事を振り返ります。

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これまでのアイドルには例のない、聞き役に回れる人である。SMAP一の気配り人間、中居正広(24)。ホストを務めるトーク番組のゲストたちは一様に彼の気遣いに感心するという。「目指すはトーク番組の達人」。人気絶頂のアイドルの目標は、最も“らしく”ない。

インタビューを行ったのは、中居の番組収録が終了した夜のテレビ局内。連日ハードなスケジュールに追いまくられる彼の声はさすがにしわがれているが、表情は終始明るい。

中居が突然「死」について語り始めたのはインタビューの半ば、話題が夢に及んだ時だった。内証話のような小さな声で「実はですねえ、僕の夢は笑って死ぬことなんですよ」。両手を上げ、力なく上を向く、彼なりの自然体で話を続ける。「“あ〜あ、あはははは〜死んだ”って言いながら。ニコニコニコニコしながら。難しいかもしれないけど、僕に限らずどんな強い人間もいじめっ子も、生まれる時はみんな泣いて出てきたんですよ。かあちゃんのあそこから。世界中の人が泣いてスタートした人生、やっぱり終わる時は笑っとかないと。終わる時も泣いてたら寂しいですし。葬式の時も(遺影を指さすような格好をして)“こいつ死んだよ〜、おい”って笑ってほしい。それが僕の向かっている夢かな」。

理由を尋ねると、「僕は人が笑ってる顔が好きなんですよ。自分の笑ってる顔は好きじゃないけど、怒ってる顔よりずっといい。陰険よりも陽気な方がいい。楽しい方がいいじゃないですか。死ぬまで楽しんで喜んでほしい」。本心なんだろう。口調にはよどみがない。

いつも輪の中心にいる中居がSMAPのリーダーだと思っている人は多い。だが、「僕がリーダーというわけじゃないんです。僕もそういう意識はないし、メンバー内でもない。ちょっと目立ちたがり屋でよくしゃべりますから。余計なことも(笑い)」というのが真相だそうだ。現在、テレビのレギュラー番組6本すべてがバラエティーや情報番組で、結果的には中居が“仕切り”を任されるホスト役となっている。

「トークを極めたいというのは結成当時からありましたね。今やらせてもらっているのはニュースキャスターから“いいとも”まで全部種類が違う。だから番組によって思考回路も違う。お芝居の魅力がいろんな役を演じ分けることだとしたら、僕はいろんなトークができるキャラクターでいたい」。

目立ちたがり屋には違いないが、相手にたくさん話してもらうことを第一に考えているという。「ゲストに迎えた人に居心地よくしゃべってもらえる空気をつくるようにしています。指圧でどのツボを押すと気持ちよくなるのかと同じように、どの質問をぶつけると相手が一つの質問で十しゃべってくれるかですね」。ツボを押さえるため出演前夜、どんなに遅くなってもゲストの資料を自宅に持ち帰り、目を通す。それを終えてからコンビニで買った200〜300円のコップ酒を飲んで眠りにつく。あまり強くはないので、2杯あれば十分だ。

「酒飲みながらだと“あは〜ん”となりますから(笑い)、(準備は)その前にね。相手が“きょうは面白かった、楽しかったよ。また番組に出たいよ”って言ってくれるのが僕の快感。スタッフの中には“気を使い過ぎず、もっと楽しんだら”と言ってくれる人もいますが、喜んでもらうのが快感なんです」。フジテレビ「MUSIC CLAMP」にゲスト出演した吉田拓郎(50)が収録後、満足げに自分のスタッフに話しかけた。「彼、なかなかいいね」。

今年夏、番組の中でメンバーが「持ってきて」とアピールしたコンサートグッズの需要が急激に高まり、生産会社が増産態勢を敷く騒動があった。その直後に、そのグッズの会場への持ち込みが禁止されたため会社側が損害賠償を求めるトラブルにまで発展した。

「ああいうことがあると、僕らのひと言が世の中を動かすこともあるんだと実感しますね。だから(いい方向にその力が生かされるのなら)ちょっとの無理とか全然平気なんですよ。僕らが楽しくしてあげれば、喜んでくれる。僕らが険悪な雰囲気をつくると、全国の人が険悪なムードになってしまう。頑張った方がいいですよね」。照れくさそうな笑みを浮かべる。優等生ぶった発言には聞こえない。

「もし、僕たちを一番だと思っている人が100人しかいなくなっても、100人のために喜んでもらえることをしたい。50人になっても一人になっても」。さらに一般論に置き換えて、「友達や恋人、両親や兄弟がいて、自分が一番大切だと思ってくれる人、一番大切にしている人がいるわけで、みんなその人たちを喜ばせるため楽しませるため一生懸命になるじゃないですか。僕らはたまたまテレビに出てるから、その対象が何十万人、何百万人になっているんです」と続けた。

自分の職業については独特の説明をする。

「お笑いじゃない、歌手でも、踊る人でも役者さんでもない。僕はSMAPです」。SMAPの定義は「個人個人が好きなことをやらせてもらっているチーム。そのうちの一つがグループによる活動」という。それぞれのメンバーによる幅広い活動は所属するジャニーズ事務所が描いた筋書き通りと思われがちだが、「スタッフは、自分たちは何がやりたいという気持ちを尊重してくれます。もちろん来る仕事は拒みませんが、こうしたいという意見はきちんと伝えます」。ここ数年のグループの充実ぶりは「地に足をつけて流されずに頑張ってきた成果」と言い切る。

SMAPの“下積み”時代は意外に長い。1988年(昭63)4月にグループを結成。歌手デビューはそれから3年半後の91年(平3)9月だった。当時はシンガー・ソングライター全盛で「アイドル冬の時代」と形容された。SMAPがグループで出演できる歌番組はほとんどなかった。活動の場はメンバー全員によるミュージカルやソロによる舞台、ドラマへの出演だった。ドラマで活躍した稲垣吾郎(23)森且行(22)木村拓哉(24)に対抗するように、中居は草なぎ剛(22)香取慎吾(19)の3人で「バラエティー班」を結成した。「小さいことだったけど、少しでもうまく話題づくりをしたかったんです」と、けなげなまでの努力がここ数年で開花した。

今年8月、オートレーサー転向のため森が脱退した。「寂しかったし、悲しかった。でも、好きなことを目指したんだから、否定はできなかった。仕事への接し方という点では僕にとって一つの転機になりましたね。より積極的になりましたから」と説明する。将来的にも姿勢は変えたくないという。「だから、夢じゃないけど、50歳になってもSMAPでいられたらいいですね」。確認の意味でもう一度聞くと、真顔で首を縦に振った。

メンバー一人ひとりを形容してもらった。稲垣を「都会人」草なぎを「不可欠な人」香取を「ノビノビやっている人」そして木村を「今のままで満足、納得してほしくない、もっと上を目指せる人」と説明した。木村を説明する口調は、自分自身にも当てはめ、言い聞かせているようだった。

正月2日にはテレビ朝日の3時間ドラマ「味いちもんめスペシャル」に主演する。「バラエティー班」で活躍した中居が2年前、初めて主演を射止めたドラマの続編だ。「いろんな演技をする役者さんがそろってますから、芝居に対する考え方が変わりました。今でもトレンディードラマは好きじゃないですけど」。

芝居への苦手意識は消えない。「学生時代からルールや校則は苦手だった。それをずっと引きずっている。僕が野球が好きなのは9回3アウトまで結果が出ないから。筋書きがないから。一球ごとに展開が変わるから。最後まで結果が分かりにくいバラエティーが好きなのも、だからかもしれない」。

熱心な巨人ファンとして有名だが、清原和博内野手(29)の巨人入りには反対だった。「清原は阪神に行ってもらいたかった。ジャイアンツばかり(スターが)多いと野球が面白くなくなる。ペナントレースは6強のまま8、9月まで行けば面白いでしょう」。

テレビで共演したプロ野球選手から食事に誘われる機会も多いが、あえて一線を画している。「プライベートでは付き合いたくないんです。昔テレビで見ていたタレントさんと今、平気で話ができる。だから、普通の感覚を失いつつあるんです。せめて野球人に対しては、距離を置いておきたいんです」。

謙虚さを失うまいとする「安全装置」をこの人はしっかりと持っている。

【取材・久我悟】

 

※なぎは弓ヘンに前の旧字の下に刀

(96年12月8日付紙面から 表記や年齢、敬称は当時のもの)