ザ・ドリフターズのメンバーでタレントの志村けんさん(本名・志村康徳=しむら・やすのり)がコロナウイルスによる肺炎のため亡くなったことが30日、分かった。29日午後11時10分、都内の病院で死去した。70歳。葬儀は親族のみで行う。

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志村さんは、芸能人から一般女性まで複数の交際が報じられ“芸能界最後の大物独身貴族”と呼ばれたが終生、独身だった。その志村さんが深く、真剣な結婚への思いを語ったことがある。それは15年11月26日、最愛の母・和子さんの通夜が営まれた地元の東京・東村山市の斎場の前だった。

志村さんは、母から「孫の顔を見るまでは死なない」と言われ、正月に実家に帰る度に「誰かいないのかい?」と聞かれていたと振り返った。その上で「何人かは、おふくろに会わせたりしたんですけどね」と交際相手を母に会わせていたと明かした。交際相手を連れて行った際は「付き合っているよ」と紹介し、破局後は、互いに触れないようにしていたという。

数々の浮名を流しながら、次の交際相手を連れていく機会は「そんな、すぐじゃないですよ」と苦笑いした。志村さんにとって、母に「付き合っているよ」と言って紹介するのは結婚を前提に交際した女性だけであることをうかがわせた。

和子さんとは共演経験もあるが、女性との交際をネタにしたコントは恥ずかしかったという。

志村さん 「バカ殿様」で1回、すごい若い女性とベッドインする予定が、振り向くと、うちのおふくろがいるというのがあった。自分で考えて、それをやるのが、ちょっと恥ずかしかったですね。でも(母は)うまくこなしていました。

志村さんは、なかなか結婚に至らない理由を聞かれると「僕が、その辺が何とも…本当に下手なもんでね」と口惜しげに吐露した。そして母を思い「一番、特等席で僕のことを見ているんじゃないですか。一番、側で…ね」とつぶやいた。

こぼれ落ちそうな涙をこらえて、口元に笑みを作った志村さん…。毎週欠かさず見ていた「8時だョ! 全員集合」では見たことのない姿にペンを書く手が止まった。それから4年4カ月後、志村さんは母と同じ肺炎で逝ってしまった。【村上幸将】

◆志村けん(しむら・けん)本名・志村康徳 1950年(昭25)2月20日、東京・東村山市生まれ。ザ・ドリフターズの付き人を経て、74年、正式メンバーに。TBS系「8時だヨ!全員集合」で「東村山音頭」のギャグでブレーク。加藤茶との「ひげダンス」、「カラスの勝手でしょ」「アイーン」など次々にギャグを生む。主なキャラクターは「バカ殿様」「変なおじさん」「ひとみばあさん」など。166センチ、血液型A。