長嶋茂雄さんの「色紙」である。

 その動向は時折、新聞、テレビで伝えられるが、さて長嶋さん、いつ宮古を訪れたのであろう。

 謎はすぐに解けた。日刊スポーツ東北総局・沢田啓太郎記者が記事にしていた。それによると、

 「宮古市庁舎・市長室の入り口に、色紙が飾ってあった。『がんばれ 宮古 長嶋茂雄』。長嶋さんが、大学同窓で宮古市出身の知人を通じ、同市に贈ったものだ。山本正徳・宮古市長は「被災された方々が『コピーしていいですか。家に飾っておきたくて』とおっしゃってね。宮古じゅうに長嶋さんの色紙が飾られてます」と話した」-

 なるほどそれで合点がいく。私がこの画像を手に入れたのは、桜写真家(案山子写真でもオーソリティだが)ピート小林氏からである。先日、会食した際に手渡された。被災地を再三訪れ、桜とともにその復興ぶりを写真に収め続けている同氏だが、先日宮古を訪れた時に飛び込んだ衣料店の硝子戸に「色紙」を発見した。

 店の了解を頂き、撮り込んだ。「色紙」がコピーであることは、沢田記者の記事にあるとおりである。地元の皆さんが市長室から持ち出した1枚、というわけだ。

 昨年、私も宮古を訪れている。2011年3月29日に三陸鉄道北リアス線・田老駅~小本駅間の運行が再開、その後の様子を見に行ったのである。宮古駅からは山口団地~一の渡~佐羽根を経て田老駅にたどり着く。

 海が見渡せるホームに佇むと、建設中の、高さ14メートル台の防潮堤が拡がっている。東日本大震災の折、以前あった高さ10メートルの防波堤を乗り越えて、津波はこの町を呑み込んだ。

 この駅のすぐそば、野球場が移転復旧したのは2016年春であった。両翼92メートル、中堅120メートル、観覧スタンド約1000席、照明設備4灯。周辺は「たろう観光ホテル跡」があまりにも象徴的だが、すでに平された土地にポツンと野球場がある。

 正式には「宮古市田老野球場」と呼ぶ。愛称「キット、サクラサク野球場」。桜の季節が近い。

 改めて「色紙」を眺めてみる。「がんばれ 宮古」。字面はぎこちないが、長嶋さんは確実に回復している。

 その文字の勢いと、宮古、田老地区など東北復興を重ね合わせてみたいのである。

【文化社会部編集委員・石井秀一】(ニッカンスポーツ・コム/コラム「新聞に載らない内緒話」2018年2月)