久しぶりの「表舞台」への登場となりそうだ。立憲民主党の野田佳彦元首相(65)が、今月下旬にも予定される安倍晋三元首相に対する衆院の追悼演説に登場することが正式に決まった。当初、自民側は「遺族の意向」として、盟友トリオ「3A(安倍氏、麻生太郎副総裁、甘利明氏)」の1人、甘利明氏の登板で押し切ろうとしたが、昨年の衆院選小選挙区で落選するなど「『格』にやや難がある」(政界関係者)ことで疑問が拡大。野党はもちろん自民党内でも異論が出て、追悼演説がまさかの「先送り」になってしまった。
当初は、10月の臨時国会召集ほどなくして行われる見通しだったが、与野党の調整が難航。結局「首相経験者への追悼演説は、野党の党首級が行う」という前例にのっとり、安倍氏の前に首相を務めた野田氏に要請が行われることになった。ちなみに、野田氏の起用も「遺族の意向」とされた。厳粛なはずの追悼演説が、自民党内の調整不足や、執行部メンバーが国葬に参加しなかった立民が、国葬に参列した野田氏への要請を受け入れるちぐはぐさが露呈。与野党双方の「痛み分け」のような決着で落ち着いた。
安倍氏への追悼をめぐっては、増上寺での葬儀で盟友麻生氏が弔辞を読んだ。国葬では、第2次安倍政権を官房長官として支えた菅義偉前首相が弔辞を読んだ。ともに参列者から高い評価を得た。国会での追悼演説について、個人的には、野田氏が妥当だと感じていたし、野田氏の追悼演説を聞いてみたいと思っていた。10年前、「民主党の野田首相」と「自民党の安倍総裁」のあの党首討論を目の当たりにしたことが大きな理由だ。
2012年11月14日。衆院第1委員会室で行われた党首討論。野田氏が、唐突に衆院解散宣言を行った場だ。「私は(11月)16日に解散をしてもいいと思っているんです。やりましょう」と強い口調で呼びかけ、一瞬で場の空気が変わり、私がいた記者席の記者たちも騒然となった。「おお」とも「ええ」とも、なんともいえないどよめきと、民主党席でのまばらな拍手が、身内にも歓迎されていないことを物語っていた。呼びかけられた安倍氏も「約束ですね、約束ですね、よろしいんですね、よろしいんですね」と興奮気味に早口で繰り返し、念を押していたほどだった。
党首討論の3カ月前、「近いうちに解散」を表明していたがなかなか踏み切れず「うそつき」といった批判まで出ていた野田氏。求心力は低下しており、解散に踏み切っても勝てる見込みはほとんどなく、当日の記事に「暴走解散」と書いたことを覚えている。そんな中、いちかばちかの勝負に踏み切った野田氏。結果は安倍氏の自民党が政権を奪還、野田氏は政権を手放すことになった。
あの2人の対決から今年、まもなく10年になる。
野田氏にとっては、政権を奪われた相手が安倍氏だが、首相経験者の礼儀として国葬に出席した。9月28日のブログに「安倍元総理は論敵というよりも仇のような政敵」だったと振り返ったのも、ある意味、本音と思う。一方で、首相の激務さや重圧に触れ「この日本一のハードワークを誰よりも長く続けられた安倍元総理に、前任の総理経験者として敬意を表したいとも思った」と記していた。
過去の総理経験者への追悼演説は8回行われ、すべて野党の党首が言葉をつむいだ。時に知られざる交流が明かされたり、表舞台では対立する立場でも信頼関係がにじむような内容が多かった。2000年5月に行われた小渕恵三元首相に対する村山富市元首相の追悼演説で、村山氏は、「気配りの小渕」と呼ばれた小渕氏が、自身の妻の体調を心配し、カーディガンをわざわざ届けてくれたことなどを明かし「人の立場に立って、人の苦労や気持ちを思いやることができる、まさに配慮の人でありました」などと悼んでいる。
一方の、今回。野田氏にとって安倍氏は、あだでありながら、総理の孤独を共有できる数少ない相手。しかしながら、民主党政権を「悪夢」と呼んだ相手でもある。複雑すぎる感情と立場がある中、野田氏が安倍氏にどんな思いを語りかけるのか。過去に行われてきた野党による首相経験者への追悼演説とは、ちょっと違ったものになるような気もする。
その野田氏は、演説の名手で知られる。若手のころから地元の駅で毎朝辻立ちして演説力をつけ、「ドスンパンチ」と呼ばれる体格からくる太い声は、かなり響くし、通る。党代表に選出された際の、自身をドジョウに例えた「ドジョウ演説」も、語り草だ。そんな話力で、最近の言葉でいえば「話す力」で、野田氏は安倍氏の政治活動をどう総括し、何を語りかけるのか。麻生氏や菅氏の弔辞と同様に、人の記憶に残る内容になるのだろうか。議場には遺族が遺影を手に訪れるのが通例だ。与野党ともに、固唾(かたず)をのんで見守る機会になりそうだ。
そして、その演説を議場で聞くことになるのが岸田文雄首相だ。政治家の「話す力」とは何かを、学ぶ機会になるのかもしれない。【中山知子】




