奈良時代の764年ごろに完成し、平安末期に焼失した東大寺(奈良市)の創建時の東塔について、奈良文化財研究所(奈文研)は25日、高さ約68メートルの七重塔だったとする復元案を作成、発表した。明治時代から続いた高さ約23丈(約68メートル)説と約33丈(約97メートル)説の約1世紀を超える論争に奈文研は「決着を見た」とした。68メートルでも奈良時代の木造塔としては、現存する奈良市の薬師寺東塔(約34メートル)を大きく上回り、「創建当時は国内で一番高かっただろう」としている。

創建時の東大寺には大仏殿の南に東塔、西塔があった。東塔は、鎌倉時代に再建されたが、室町時代に落雷で再び焼け落ちた。鎌倉時代の塔は記録では高さ32丈(約96メートル)だったという。

創建時の東塔の高さは、写本によって「23丈」や「33丈」とする史料があり、見解が分かれていた。奈文研は33丈説の根拠とされた文献「朝野群載」の写本を調べ、江戸時代後期の国学者伴信友が23丈と記されていた箇所を33丈に書き直していたことなどを突き止めた。

塔の構造はこれまでの発掘調査の成果などから復元。全高68メートルのうち、塔上部の飾り「相輪」の高さは約26メートルもあるが、古代では相輪が大きく作られる傾向があるという。塔にかかる荷重を検討し、復元案が実際に塔として成立し得ることも確認した。

復元を担当した奈文研の目黒新悟研究員(建築史)は「塔身がやや太った印象の塔になった。現存しない七重塔の復元を実証的に行ったのはほぼ初めてで、古代アジアの木造塔を考える上で貴重な事例になる」と話している。

また東大寺は「奈文研の案は明治時代から出された案から数えて4番目となる。天平の東塔の姿が知りたいとの思いに答えを頂いた」とするコメントを出した。

奈文研がまとめた報告書「東大寺東塔の復元研究」はインターネットで無料公開する。(共同)