飯舘村には1月末時点で東京ドーム2杯分、237万個ものフレコンバッグが山となって積まれている。中間貯蔵施設の整備が遅れているため、行き場がなく、搬出のめどは全く立っていない。和合さんは詩集「昨日ヨリモ優シクナリタイ」で「一年目は怒りと悲しみでした 二年目は町に本当に戻れるか不安と恐れでした 三年目はあきらめて笑うしかなくなりました そのまま四年を迎えました 五年目になりました」と書いた。7年目の今年、今村雅弘復興相は「福島の復興はマラソンに例えると大体30キロ地点にきている」と発言した。

 和合さん 「和合さん、復興が進んで良かったね」と言われます。除染が終わってすっかりきれいになってと。でも、まだスタートラインにすら立っていない地域があるんです。

 和合さんはこう詩に書いた。「飯舘村のそちこちに並ぶ汚染された土砂の入ったフレコンバッグが 五年の歳月に耐えられず破けてしまっている(略)十万年どころか五年も持たないと分かったばかりだ 気が遠くなる 気が短くなる」(「昨日ヨリモ優シクナリタイ」)。【中嶋文明】

 ◆和合亮一(わごう・りょういち)1968年(昭43)、福島市生まれ。県立高校教諭の傍ら詩作を行い、98年、中原中也賞、06年、晩翠賞。東日本大震災発生6日目の11年3月16日から「放射能が降っています 静かな夜です ここまで私たちを痛めつける意味はあるのでしょうか」など、毎夜ツイッターで発信した。「詩の礫(つぶて)」など著作多数。講演、朗読を通じ、福島の今を伝えている。

 ※注1「千葉のいじめ」 南相馬市から船橋市の親類宅に避難した小学生の兄弟が公園で「どこから来たの」と尋ねられ、「福島から」と答えると、子どもたちが「放射能がうつる」「わー」と叫び、逃げた。兄弟は福島市に再避難した。

 ※注2「までいの村」 「までい」は「丁寧に心を込めて」という意味の福島県の方言。原発事故が起こるまで人口6200人の飯舘村は「日本で最も美しい村」の1つとして知られた。住民調査で「戻りたい」と回答した世帯は33%だが、実際の帰還者の目安となる「準備宿泊」を申請したのは83世帯193人にとどまる。

 ※注3「フレコンバッグ」 フレキシブルコンテナバッグ。トン袋とも呼ばれる。汚染土などを入れ、仮置き場に保管されている。飯舘村では15年9月、豪雨で河川が氾濫、240袋が流出する事故が起こった。