東日本大震災発生から7年となる今日11日、千葉県富津(ふっつ)市竹岡で追悼行事が行われる。発起人は、立石煙火製造所の花火師、立石泰之さん(47)。「震災を風化させてはいけない」という強い思いで、イベントの開催を決めた。被災地に向けて、そして2年前に亡くなった父の思いも乗せて、約100発の花火を空高く打ち上げる。

 立石さんは言葉を選びながら、イベントへの思いを語った。「『なぜ遠く離れた富津で?』『なぜ花火?』と思われるのは分かっている。それでも、震災を風化させないために、自分ができることをやりたかったんです」。1人の花火師として、また被災地と関わってきた人間として、今年こそ“形”として何かを残したかった。

 震災翌年の12年、地域の社会奉仕団体「富津シティロータリークラブ」に入会した。「何か自分にできることはないかと思って」。宮城県石巻市のNPO法人「みやぎ子ども養育支援の会」に義援金を届けるなど、ほぼ毎年、現地にも足を運んだ。被災者から直接、震災当時の悲惨な状況を聞くこともあった。

 そんな活動を続ける中、「物資やお金の支援も大切だが、それ以上に、この出来事を風化させないことが重要なのでは」と思うようになった。自分は花火師。「富津市で追悼の花火を上げ、この地でも年に1度、震災を思い出す場を作りたい」。ただ、会社は家族3人で経営する小さなもの。1歩踏み出せない時期が長かった。

 今年1月下旬、小さなキッカケが背中を押した。火薬類の立ち入り検査で、千葉県の担当者が製造所を訪れた。県内ではこれまで1度も、3月11日に「追悼の花火」が上がったことがないと知った。「ダメもとでやってみよう」。すぐに、知り合いだった富津市議の千倉淳子氏(53)に声を掛けた。

 そこからは、とんとん拍子で話が進んだ。趣旨を聞いた千倉氏や、地元の漁業組合が賛同した。「花火だけ上げられれば良い」と思っていた追悼が「地元合唱団の追悼の歌」、「子どもたちによる竹灯籠点火」など、約1時間のイベントになった。「こんなに大きな話になるとは思っていませんでした」と立石さん。スタッフは30人。約500人の集客を見込んでいる。

 2年前に亡くなった父、栄さん(享年78)の思いも背負った花火になる。栄さんは生前、テレビの映像で追悼の花火が上がる様子を見て「いつかはうちもやってみたい」と話していた。日本3大花火大会の1つ、新潟県長岡市の「長岡まつり」で上がる花火が、戦争で亡くなった人々への慰霊の思いで始まったと、栄さんから聞いた。立石さんは「父も空から見てくれるといいですね」と願った。

 イベントの最後に打ち上げられる花火は、小さなものも含めて約100発。時間にしてわずか5分だ。「花火大会にするつもりはないんです。震災を思い出して、亡くなった人のことを思う。そんな日にしたいですね」。遠く離れた東北の被災地に、大空から思いを届ける。【太田皐介】