西日本豪雨で甚大な被害が出始めてから1週間が経過した13日、広島市安芸区矢野東では5人が死亡し、2人の行方が分かっていない。土砂崩れの影響で、道路にはがれきや流木などが散乱。同地で暮らす建設会社社長、西永新也さん(51)は、ボランティア受け入れに向けた準備を進めている。

 西永さんの自宅裏には約10人の地域住民が集まり、土砂や泥水をかき出していた。自衛隊や消防団は、行方不明者の捜索などを優先しているため、人手が足りない。同地区には避難指示が出ており、ボランティアの受け付けも始まっていない。「いつ避難指示が解除されるか分からないが、必ず人手が必要になる。そのための準備をしている」。

 西永さんも6日夜8時ごろ、豪雨による土砂災害で被災。肩の高さまで濁流にのまれたが、なんとか生き延びた。腕や足には、その時の傷が残っている。「家の前に出ていたら、雷のような『バキバキ』という音が聞こえた。それから『危ない』という声が聞こえて、車が流れてきたのを覚えている。どうやって濁流から逃れたのかは分からない。地獄だった…」。

 幸い、家族や近くに住む住民は全員無事だった。家に帰れるようになった8日からは、ボランティアの受け入れに向けて準備を始めた。自宅を開放し、休憩所にすると決めた。

 「自分が一番ではダメ。人のためにできることをしなさい」。娘2人に、こう言い続けてきた。25年間暮らしてきた地域で、住民同士のつながりも強い。「大丈夫か」などと声を掛けられ、手伝ってくれる人もいる。自分がボランティアを受け入れるという選択肢に、迷いはなかった。

 自宅裏にブルーシートを張り、大きな日陰を作る。当初は自宅にも床上50センチまで土砂が流れ込んでいたが、全て取り除いた。12日からは冷蔵庫も使用可能。井戸からは水も湧く。「ボランティアに来た人が、涼んだり、落ち着けるような場所にしたい」。壊れた家庭用給水ポンプや、冷房の室外機などがそろえば、休憩所として機能する。

 西永さん自身、自宅裏の倉庫が流され、仕事道具を失った。仕事復帰のめどは立っていない。自宅も2年前にリフォームを終えたばかりだった。「まさかこんなことになるとは」と、住宅保険にも入っていなかった。「正直、金銭的にも厳しい。どうにもならない状況だが、助けてくれる人もいる。この地域全体が復興するために、できることをしたい」と、前を向いた。【太田皐介】