平成の日本で1度だけ行われたオリンピック(五輪)は、冬の信州を明るく照らした。1998年(平10)、日本で2度目の冬季大会、長野五輪が開催。スキージャンプ団体の金メダル獲得など大盛り上がりを見せ、成功裏に幕を閉じた。その半面、膨れあがった借金が「負の遺産」としてクローズアップされ、肥大化したイベント開催の意義が問われた。新元号で行われる「TOKYO2020」を2年後に控え、「NAGANO1998」を巡るドラマを振り返る。【三須一紀】

日本初開催となった02年サッカーワールドカップも、平成を代表する世界大会だった。その中で「負の遺産」と指摘を受けたのが、宮城スタジアム(宮城県利府町)。最寄りのJR利府駅から徒歩約50分もかかる利便性の悪さが指摘された。

宮スタは約270億円もの整備費で建設されたが、5万人の観客席を埋めるコンテンツは年間であるかないか。08年には監査報告書の中で、宮スタを含むグランディ・21各施設の稼働率の悪さを指摘し、「解体検討」とまで書かれた報告書がまとめられた。

06年から民間の知恵を経営に取り入れた。昨年の年間利用者は06年の約10万人から約18万人にアップ。何より大きかったのは11年の東日本大震災だった。「県民から防災拠点の認知度が高まった」(県担当者)という。遺体安置所として1072の遺体も収容した。

震災復興の名目で大物アーティストがライブを開催。13年のサザンオールスターズを皮切りに、ミスターチルドレン、嵐が訪れた15年は利用者数が約47万人に上った。今年は乃木坂46が実施し「復興名目ではなく、新たな良いきっかけになる」と評価した。

交通便の悪さも地道な努力で、逆に強みに変えつつある。ライブ時、シャトルバスを5駅から運行し、ホテル需要が仙台市中心部だけでなく各地域に分散。そこに観光ツアーも付随し、経済的な広がりが生まれた。地方ならではのスタジアム経営に光明が見えてきた。20年東京五輪ではサッカー会場となるため、約10億円かけて大規模改修を行う。