日本の戦後歌謡史に大きな足跡を残した美空ひばり。24日は30回目の命日に当たる。生前のまま残る東京・青葉台の自宅には、住み込みで働いていた「おのり」「ちーこ」「あさこ」が今も住んでいる。ひばり邸の「三婆」(さんばば)とも「妖精」とも呼ばれる3人は、ひばりの死後30年たっても、あのころのまま「『お嬢さん』が生きていた時と同じように」と暮らし続けている。

3人の朝は午前6時、仏前で火打ち石を打つことから始まる。公私にわたってひばりを支えた母、喜美枝が、舞台へ向かう娘のために祈りを込めた習わしだった。母の没後は、ひばりが仏前で打つようになって、その習慣を3人が引き継いだ。

耳のいいひばりは、台所のテーブルを動かす、わずかな音でも目を覚ました。だから静かに、お嬢さんを起こさないように朝食の支度をする。「今朝の食事はいかがでしたか」。食事を担当してきた「あさこ」が仏前で尋ねる。返事はない。だが「おいしかったよ」という言葉を夢想して、あさこはひとり、うれしくなる。

日中は、自宅に併設する記念館をファンが訪ねてくる。身近で見てきたひばりの素顔を今に伝える「語り部」としての役割が、3人の仕事だ。「お客さんに『ひばりさんがここにいて、迎えてくれたみたいだわ』なんて言われると、本当にうれしくて」。現場で付き人を務めた「おのり」の笑みがこぼれる。

ひばりの主演映画やコンサートの録画を3人で見る。映像に合わせて誰ともなく歌い出す。かわいらしい衣装や小物を見れば「お嬢さん、こういうの好きよね」などと語り合う。「飽きる? いいえ、お嬢さんの話題は次から次に出てきますから」。おのりとともに現場の付き人だった「ちーこ」が破顔する。

現在のひばり邸を新築する際、3人に個室を、という話もあった。だが、固辞してそのまま、豪邸の隅っこ、10畳の和室で川の字になって寝る。「お嬢さんが夢に出てくることは、ほとんどありません。夢でもいいからお話ししたいのに。なぜでしょう」と3人は口をそろえる。

長年、公私にわたって芸能活動を支えた3人を、ひばりは生前、とても大切にした。ひばりの死後、誰も「辞める」と言わなかった。「出て行け」とも言われなかった。付き人として、ひばりと暮らしたあのころのまま、昨日と同じ今日を生きていたら、いつのまにか30年がたった。これからのことなど考えたこともない。明日も今日のように生きるつもりだという。

3人の夢、生きがいは、昔も今も「お嬢さんのそばにいること」。おのりは言う。「たった一つの願いがかなった人生です。私たちは本当に幸せです」。(敬称略)【秋山惣一郎】

▽「おのり」こと関口範子さんは1940年(昭15)、「ちーこ」こと斎藤千恵子さんは37年、ともに東京都で生まれた。「あさこ」こと辻村あさ子さんは50年生まれで静岡県出身。

いずれも熱烈なひばりファンだったが、ひばりの母、喜美枝さんに声をかけられて、住み込みで働くようになった。おのりは商社勤務を経て61年、ちーこは66年から、ともに付き人に。あさこは農協勤務を経て73年から料理係を務めた。それぞれのあだ名は、ひばりがつけた。現在は、東京都目黒区の美空ひばり記念館で案内係としても働いている。