福島県、宮城県で最大震度6強を観測した地震が、13日午後11時7分ごろ発生した。気象庁によると、震源の深さは約55キロ。地震の規模はマグニチュード(M)7・3だった。福島市の実家で被害を受けた、タレントなすび(45)が14日、電話取材に応じ、現地の様子や心境を明かした。東日本大震災から10年を前にしての大地震発生。記憶の風化抑制を願うだけでなく、これまで同様に東北の復興に尽力することも誓った。

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午後11時すぎ、「そろそろ風呂でも入って寝ようかと思っていた時だったんですよ」。2階一戸建ての1階リビングで母、姉と家族だんらん中だった。福島市は震度6弱。「地震を知らせるアラームも鳴らなかったので、大きくないんじゃないかと思ったら、ドドーンと縦揺れ。その後、ブチッと停電してしまった。真っ暗の中、とにかく閉じ込められないように玄関やドアを開けました」。長く続いた横揺れの中、身の安全確保に必死だったと言う。

暗闇の室内は食器などの割れる音が鳴り響く恐怖が続いた。「懐中電灯や携帯電話のライトが頼りでした。食器棚の戸が開いてしまっていたので、これ以上落ちないように割れ物に気をつけながら抑えることしか出来なかった。思った以上に長かった」。ライトで部屋を照らすと、東北名産のこけしなどを含め、床一面に散乱。ぼうぜんとした。

ようやくラジオのスイッチを付けた。福島沖が震源だと知った。津波の危険がないことも知った。「原発が一番気になっていました。丸10年、津波と原発事故の放射能で苦しんできた方がたくさんいる。復興させようとしてきた苦労が、一気にゼロ、マイナスになってしまうのかとも思ってしまった。原発に問題やトラブルがなさそうだと分かって、ようやく落ち着けて、心の動揺が消えてきました」。余震が続く中、軍手を装着。少しずつ片付けを始めた。午前2時前後に、ようやく停電が解消した。夜明けを迎え、午前6時に床につき、大きなため息とともに、目を閉じた。

10年前の3月11日は、千葉県にいた。「母に聞いても地震は今回のほうがすごかったようです」。震災直後から福島を中心に被災地に寄り添う活動を行ってきた。復興祈願で挑戦したエベレスト登頂も16年に4度目で成功。コロナ感染拡大後は、福島市を拠点に。「10年目のこの時期に、また地震が起きた。忘れちゃいけないと提示されたのだと思う。東北にゆかりのない方は忘れかけていたかもしれない。風化させてはいけない」と願った。

自身のツイッターも更新した。「こんな時に何しているんだと炎上覚悟で写真を載せました。僕らエンタメの仕事は人の生死にかかわる時は役に立たない。時間がたって少しゆとりが出来た時に、元気や安らぎを届けられると信じています」。青空をバックに、なすびらしい最高の笑顔を届けた。【鎌田直秀】

◆なすび 本名・浜津智明。1975年(昭50)8月3日生まれ、福島市出身。福島東高を経て、専大法学部卒。芸名はナスのような約30センチの長い顔から。日本テレビ系「進ぬ!電波少年」で98年から1年3カ月「懸賞生活」を送って注目された。地元福島を中心にタレントや俳優として活動中。津波被害にあった青森から福島までの4県の沿岸部を歩く900キロトレイルにも挑戦するなど被災地の情報発信を続けている。趣味はお菓子作り。血液型O。

◆東日本大震災 2011年(平23)3月11日午後2時46分、宮城県沖を震源とするマグニチュード9・0の地震が発生。最大震度は宮城県栗原市の震度7を観測した。岩手、宮城、福島の3県を中心に沿岸部は大津波に襲われ、昨年12月現在の死者は全国で1万5899人。行方不明者は2527人に上る。同日、東京電力福島第一原発の事故が発生。避難者は一時16万人以上に上った。