東日本大震災の発生当時、民主党政権で官房長官を務めた立憲民主党の枝野幸男代表(56)が、日刊スポーツのインタビューで復興への思いを語った。

震災当時、青色の作業ジャンパーで不眠不休の情報発信を続けた姿は国民の目に焼き付いた。現在まで続く、東京電力福島第1原発の処理水問題など、突きつけられた最優先課題への政策提案を直言した。

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-東日本大震災発生の直後から政府は記者会見を開いて情報発信を行った。すべてが予断を許さない状況で枝野氏は昼夜問わず、青の作業着姿で質疑応答に立ち続けた。官房長官就任から約2カ月目の奮闘にネット上には「枝野寝ろ」の投稿が拡散し、不眠不休のスポークスマンぶりは海外メディアでも報道された。

枝野氏 椅子に座って、うとうとするのを断続的に繰り返していた。分単位のレベルで次から次に情報が来る。ソファに横になった時に限って、新しい悪い情報がきた。疲れを感じる、いとまがなかった。

-震災から2週間で39回の記者会見を行った。混乱を避けるために情報を一元化して、「すべてを公にする」という発信の注目度は高く、中でも放射能による健康被害に関して国民は強い関心を寄せた。5回の会見で福島第1原発から20~30キロ圏内の牛乳、ホウレンソウから基準を超える放射性ヨウ素が検出されたことについて「直ちに人体や健康に影響を及ぼす数値ではない」と繰り返した。あいまいな発言との批判を受けたことに改めて反論する。

枝野氏 食べ物については1回食べただけで健康を害するレベルではまったくない。ただし、蓄積していった場合には分からない。一番正直に、明確に説明した。短期的には大丈夫ですけど、長期的には分かりませんと。中長期的なリスクはちゃんと説明しました。

-10年がたちハード面の復興は進んだが問題は山積している。

枝野氏 孤独死が増えている。コミュニティーが壊れてしまっている。大規模のかさ上げ工事をやった。だけど、その間に被災者がバラバラになって、帰って来る人が少なくなった。大規模のかさ上げ工事は否定しないが、スケジュール感を明確に示して、何年待てば、何ができるということが見えないまま、10年進んできたことで、出ていかなくてもいい人たちが出ていってしまう。出ていきたくない人が出ていかざるを得なくなってしまった。そして生業(なりわい)です。働く場所と業を起こすこと。政治行政がサポートすることができたら、と大変残念に思う。

-国は福島第1原発の放射性物質トリチウムを含んだ処理水を来夏にも海洋放出する方針を固めた。風評被害で死活問題となる地元漁業者は強く反対する。

枝野氏 安全と安心は違う。安全は専門的にいろんなことを言う人がいるけれど、そのことで多くの国民が安心するかどうか問われている。いくら専門的に安全だ安全だと叫んでも、そのこと自体は本質じゃない。処理水の問題は現状ではとても認められない。

-処理水の処分には「海洋放出」と、水蒸気にして空気中に放出する「大気放出」があるが、「大気放出」では農作物、畜産への風評被害の懸念が高まる。

枝野氏 コストはものすごくかかるけど、処理は可能という技術もあると言われている。これがコストがかかりすぎるという理由で入り口でふさがれてしまっている。あらゆる可能性を全部努力した上なのか問われる。

-復興へ、今後の重要な課題を挙げると

枝野氏 危機管理庁を創設すべきです。内閣府の防災担当は頑張っているが、これだけ災害が相次ぐと、もっと人員を増やしてノウハウが蓄積されるようにしなくてはならない。実際に町長さんが津波で亡くなって、町役場がほぼ全滅というような所が出てきた。その時に、国が直接やらざるを得ないということが、たくさんあるのに、そういうチームがいまだにない。【取材構成 大上悟】

◆枝野幸男(えだの・ゆきお)1964年(昭39)5月31日、宇都宮市生まれ。東北大卒。弁護士を経て93年、日本新党の公募で旧埼玉5区から初当選。当選9回。鳩山内閣で事業仕分けチームを統括。菅内閣で官房長官、野田内閣で経産相。家族は妻と2男。

○…東日本大震災と、コロナ禍は経験したことがない国難という意味では共通し、政府の情報発信や説明には責任が問われる。枝野氏は同じ官房長官経験者の菅義偉首相の対応に苦言を呈した。「発信者が理解していないことは伝わらない。私は、自分でこういうことだと理解して説明していた。分からないことには分からないという姿勢だった」とした。その上で「事務方から説明を受け、自分で理解して話しているのか、それとも原稿を読んでいるだけなのか。特に危機の時はみんな真剣に見てますから、間違いなく伝わると思う」とし「情報を理解する能力があるかどうか、理解して、自分でいったん、そしゃくをした上で発信するかどうか問われる」と指摘した。