東京五輪の聖火リレーは19日、宮城県に入った。東日本大震災の津波で児童74人、教職員10人が死亡、行方不明となった宮城県石巻市立大川小学校で、6年生だった次女・真衣さん(当時12)を亡くした鈴木典行さん(56)が、愛娘の名札を身に着けて走った。リレー後は、震災遺構となった旧大川小にトーチを運んだ。「走ってきたぞ」。手を合わせて子どもたちに報告をした。

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雨が降りしきる中、右手で復興の聖火を掲げた。鈴木さんは笑顔だった。「真衣と一緒に走ることができたからかな」。震災当日、娘が自宅に忘れていった名札。できることならばと、娘の名札を着けて走ることを強く望んだが、装飾品などがランナーの規定で着用することができなかった。スタート直前に外し、右のポケットに大切にしまった。沿道の観客に見守られながら、娘と一緒に大役を果たした。

あの日の出来事を風化させてはいけない。数多くの尊い命が犠牲になった。児童遺族でつくる「大川伝承の会」の共同代表として毎月、校舎で語り部活動を行っている。20年から、新型コロナウイルスの影響が語り部にも及んだ。被災地を訪れる人が減り「これまでは一度に数百人の方が来られていました。伝承するにしても多くの方に伝えられない。歯がゆい思いをした」。ただ、伝え続ける思いは決して変わらない。「来られなくなった分、いろんな形で発信していきたい」と、ズームなどのオンラインを利用し、発信を続けている。

新型コロナの影響で東京五輪が1年延期となり、震災から10年と重なった。しかし、鈴木さんは「『復興五輪』が『東日本大震災』のものと言われるんですよね」と複雑だ。「決して東北のためのだけのものではない」と強調。全国各地では、地震だけでなく台風や豪雨などの天災が相次いだ。「全国なんだ。今だって被災が続いている人がいる。そこの被災地の人たちを忘れないでほしい」と訴える。「そのために全国をトーチが回っているわけじゃないですか。全国の被災地の『復興五輪』であって欲しい」。

鈴木さんは、聖火ランナーに応募する際、大川小の前を走ることを望んでいた。大川小はコースから外れ、望みはかなわなかった。リレーを終えた鈴木さんは名札を身につけ、大川小に向かった。「子どもたちにトーチを見せたかったんです」と、再び笑顔を見せた。「役目を果たせた気がします」。全国を巡った聖火が、子どもたちの元にも届いた。【沢田直人】

◆大川小の被害 校舎は海岸から約4キロ離れていたが、津波が北上川をさかのぼり、川沿いの学校敷地を襲った。全校児童108人、教職員13人中、校庭にいた児童74人と、校内にいた教職員10人が死亡、行方不明となり、東日本大震災の学校管理下において最悪の災害となった。児童23人の遺族が、学校の防災体制に不備があったとして、損害賠償を求めた訴訟で、最高裁は14億円余りを市と県に命じた。大川小は震災遺構として保存され、7月中旬から公開予定。

◆19日の聖火リレー 東北最後の宮城県に入った。県北東部の気仙沼市から始まり、南三陸町、石巻市などを回った。最終区女川町ではお笑いコンビ、サンドウィッチマンの伊達みきお、富澤たけしがランナーを務めた。20日は宮城県で2日目を迎える。東松島市を出発し、内陸の大衡村を経由。再び沿岸部に戻り、松島町などを巡る。第7区では、俳優千葉雄大が地元多賀城市を走る。