72年札幌冬季五輪から3日で50年-。高校1年生でフィギュアスケート選手だった玉井(旧姓辻村)いずみさん(66)は当時、開会式で聖火がともったトーチを掲げ氷上を滑走した。50年たった今、当時を振り返りながら、2日に競技が始まり4日の開会式も迫る北京五輪、故郷の札幌市が招致を目指している30年冬季五輪への思いを語った。【取材・構成=山崎純一】

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-札幌冬季五輪から50年になる

玉井さん その後大学でこちら(関東)に来ましたので札幌を離れてしまいましたが、あっという間でしたね。

-当時開会式で聖火を運んだ

玉井さん 前日にリハーサルを行ったのですが、その時が晴天で氷表面になに1つ雪もなくて、とても滑りやすかったんです。当日は雪が氷の上に被っていて滑りにくかったのは覚えています。寒かったのでしょうけれども、気温は覚えていませんね。緊張していたので。

-会場の雰囲気、トーチを持った時の心境は

玉井さん もう淡々と滑るということだけでした。全体を見回してどうということはなくて、淡々と滑るということだけでしたね。まさか私がという感じで。

-札幌の街並みも変わった

玉井さん 街も変わって地下鉄ができたり、どんどんビルが建ったり、すごく変わったなという印象はあります。

-コロナ禍で北京五輪が開催される

玉井さん 今まで50年間冬季大会がいくつもありましたけど、それとは全く違う状況ですよね。開催すること自体が大変だなと思いますが、喜びの方が大きくなれば。

-故郷札幌市が30年冬季五輪の招致を目指している

玉井さん 国内全体の人々の思いがそれぞれあると思いますし(今はコロナ禍で)大変な状況ですから、もろ手を挙げてという状況にはない部分もある。私自身はスポーツをしていたので、オリンピックをすること自体は選手にとってとても待ち遠しいことだと思います。特に地元の子どもたちはそれでいろんな力とかエネルギーをもらって、やる気になったりすると思いますね。

◆玉井いずみ(たまい・いずみ)旧姓辻村。1955年(昭30)5月23日、札幌市生まれ。札幌曙小6年でフィギュアスケートを始める。札幌北高をへて筑波大、同大学院を修了し24歳で結婚。26歳で教員採用試験に合格。体育教諭として埼玉県立新座高に11年間、浦和市立高(現さいたま市立浦和高)では再任用を含めて28年間勤務。21年3月に退職し、現在は冬場、さいたま市スケート連盟のスケート教室で指導にも携わっている。家族は夫と1男1女。