プロ野球ヤクルト村上宗隆内野手(22)と“同名”の「宗隆寺(そうりゅうじ)」(川崎市高津区)で4日、日本選手シーズン最多56本塁打と史上最年少3冠王の達成記念御朱印が誕生した。

先月25日から発行している“村上宗隆御朱印”の左上にチームカラーの緑色で「奉讃 伍拾六號 三冠王」と押印した新バージョン。法華経の一部を引用した「撃大法鼓」の文字は変わらない。住職は「太鼓を大きく打つことで法華経の教えが伝わることを意味しますが、野球ならバットでボールを強くたたいて遠くまで飛ばすホームランのイメージ」と説明。隣には監督の姓と同じ「高津幼稚園」もあってファンの聖地として参拝客が増加しているだけに、人気に拍車がかかりそうだ。

本塁打を放った最終戦は、試合前に活躍祈願をしてテレビ観戦。「最後の打席で打つなんて、神の子ですし、スーパーマンだし、化け物」とたたえ、「本当に難産だった」と安堵(あんど)の表情も浮かべた。クライマックス・シリーズ(CS)や日本シリーズに向けても「絶対大丈夫とは言えないけれど、村上選手を中心にした心のまとまりが今の強さなので負けない」と太鼓判を押した。村上の今後にも「こんなに優秀なのでアメリカにおいでになるんでしょうから、ケガをしないで頑張ってほしい。将来はメジャーで大活躍するのでしょう」とエールを送った。

住職個人としても神宮球場はなじみの深い場所だった。早実の中高生時代には早大対慶大の東京6大学野球「早慶戦」に授業の一環として何度も足を運んだ。荒木大輔氏(58=野球解説者)は高校の3学年下だが「自分のクラスにも野球部の甲子園メンバーがいましたし、夏の大会も神宮に応援に行きましたね」と懐かしむ。06年夏の甲子園では斎藤佑樹氏(34=野球解説者)擁して優勝した早実の準々決勝日大山形戦もアルプス席で声援を送った。「ドラフトで村上選手が(早実出身の)清宮幸太郎(23=日本ハム)の外れ1位だった時に『あっうちと(宗隆が)一緒だ』と思ったんです」と語った。

住職などによると、宗隆寺は1496年(明応5)、領主の階方(かいほう)新左衛門宗隆の名前をとって「宗隆寺」と命名し、同時に天台宗から日蓮宗に改宗。1607年(慶長12)に熊本城を完成させた加藤清正も日蓮宗に関わりが深く、村上の故郷熊本とも縁があるとされる。

ファンの姿も目立ち、先月26日にヤクルトと村上の必勝祈願で同寺院を訪れていた静岡市在住の親子が「お礼参りに来ました」とグッズを持参して、本殿で手を合わせて感謝の意を伝えた。50代の母は「昨日はホームランが目の前に飛んできた。まだ興奮が冷めないです。ヤクルトの応援で息子とつながっています」と笑顔。「先輩、後輩、仲が良いスワローズファミリーですが村上選手は人に頼られる天性のものを持っている。長くヤクルトにいてほしい。バレンティンを超える61号も遠くないと思う」と期待した。30代の息子も「ベンチの一番前で声を出してチームの先頭に立つ姿に感銘を受ける。ヤクルト同様にWBCでも打撃と精神的支柱としてスーパースターたちを引っ張ってほしい」と願った。【鎌田直秀】