1953年(昭28)11月18日に東京・渋谷区で開業した、東映の直営劇場・渋谷TOEIが4日、閉館を迎え69年の歴史にピリオドを打った。同日に「さよなら渋谷TOEI」と題したラスト特別上映を行った。午前11時30分から、高倉健さん主演の99年「鉄道員(ぽっぽや)」(降旗康男監督)、午後6時から深作欣二監督の00年「バトル・ロワイアル」を上映した。

「バトルロワイアル」特別上映には、深作監督の長男で同作の脚本、プロデューサーを務めた深作健太監督(50)と、片岡公生プロデューサー(59)が登壇した。深作健太監督は「映画化する時、すごく大変な映画だった。当時、27歳で初めてプロデューサーをやらせていただいて。東映社内からも、かなり反対があった企画」と企画成立自体が困難だったと振り返った。その上で、20年11月18日に亡くなった、岡田裕介前会長が当時、営業部長で「無理くり、企画会議で押し通してくださって実現した作品。深作欣二の作品は90年代(客が)ほとんど入らなかった。大丈夫なのかと、さんざん議論された作品だったはず」と感謝した。

その上で、深作健太監督は「バトル・ロワイアル」を「深作欣二は『仁義なき戦い』もそうでしたし、絶えず若い観客のために戦後の青春群像を描いて映画を撮ってきた監督。ひょっとしたら次が最後かも知れない…若い人に見てもらう映画として、齢70で挑戦した映画」と位置付けた。そして「(公開の)前の日の夜、オヤジは非常に不安がって、深夜に父子で、ひっそり丸の内TOEIの様子を見に行った。予約制の今と違い、前の日の深夜から(映画館周辺に)並ぶ文化があった。お客さんが並んでいるのを見て。助手席に座っていたオヤジの顔が今でも忘れられない。おかげさまで大ヒットした」と続けた。

そして、渋谷TOEIと「バトル・ロワイアル」との関係性についても言及。「ご存じかも知れませんが、ラストは渋谷で終わる。やはり渋谷で若い方、若者文化への思いが、深作欣二の中に、すごくあった。渋谷の舞台に立ちたいと、舞台あいさつに立たせていただいた」と語った。

自身の映画と渋谷TOEIとの関係性についても語った。「最近は演劇で食っているんですが、僕自身も『僕たちは世界を変えることができない。』(11年)、広島で作った『夏休みの地図』(13年)も、こちらでかけていただいた。大変、思い出深い、渋谷TOEIと、お別れするのは本当に複雑な気持ち」と吐露した。

渋谷TOEI閉館後のフロアには、23年4月10日から27年度中までの休館(時期未定)が決まっている、同じ渋谷区の映画館Bunkamuraル・シネマが、同年初夏から「Bunkamuraル・シネマ 渋谷宮下」として営業を開始することが決定している。 渋谷TOEIは、53年に宮益坂下に渋谷東映、渋谷東映地下として開業した、東映の直営劇場第1号。63年には渋谷東映地下を渋谷東映パラスに改称。66年7月には、さらに同劇場を渋谷松竹に改称して、東映経営下で松竹邦画系作品を上映した。90年9月に再開発のため渋谷東映、渋谷松竹を閉館すると、93年には現在も営業する11階建ての商業ビル「渋谷東映プラザ」が開業し、渋谷東映、渋谷エルミタージュとして新規オープンし、04年に現在の渋谷TOEI1、2と館名を変更していた。座席数は270席、189席。

渋谷TOEIの閉館後、東映の直営劇場は東京・丸の内TOEIのみとなる。