安倍晋三元首相、漫画家の水島新司さんや藤子不二雄Aさん、プロレスラーのアントニオ猪木さん、ファッションデザイナーの三宅一生さんや森英恵さん、プロ野球の村田兆治さんら、2022年(令4)は、長年いろいろな分野をリードしてきた方々が亡くなった。落語界では、三遊亭円楽さん(享年72)が9月30日に死去した。視聴者に届く映像上の姿ではなく、本当はどんな人だったのか? 公私ともに親しかった日本テレビ系の人気長寿番組「笑点」メンバー、三遊亭小遊三さん(75)に聞いた。

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「笑点」だけ見ていれば、4年前に亡くなった桂歌丸さんをはじめ、周囲に毒づいて「腹黒」な役を演じていた。

「落語家の本音はよく分からないよ。実力があったし、やればできる立場だった。その気になっていたのでは。勤勉だったから」

円楽さんは都立高3年時、東京都の公務員試験に合格している。記念受験した青学大法学部にも合格し、入学したという。

「僕らの年代で公務員試験に受かるようなヤツは、落語家にはなってないよ。当時としては異色だった。知恵のよく働く人だった」

地方で「笑点」の公開録画があった時。当時のメンバーの中では下っ端だった2人は、よく宴席の途中で抜け出した。

「(先輩の)こん平師匠(故林家こん平さん)のチェックが厳しいから。途中で目配せしてこっそり逃げるのよ。熊本、函館、旭川。(逃走経路が)スラスラ出てくるんだ(笑い)」

逃走の指示役は円楽さん。どこから脱出して、どの道を抜け、どの店で落ち合うかなど、前もって調べたことを小遊三さんに話したという。

「プロデュースした『博多・天神落語まつり』だけではなく、どんな場面でもアイデアマンで実行力がある。2人ともゴルフが好きだったから、海外や地方でよく行った。コースをはじめ、すべて段取りしてくれたよ」

円楽さんの高校の同級生を中心に集まる「円楽コンペ」に、小遊三さんも参加していた。

「縁起のいいコンペで、僕はベストスコアの78と、ホールインワンを記録した。円楽さんもプロに教わるほどで、70台のスコアで回るんだけど、オレに負けるのが嫌いでね」

年は小遊三さんが3歳上。

「こっちがハンディをもらいたいのに、『オレがハンディをもらうから』って。そんなにまでして勝ちたいかって思ったよ。面白い意地っ張りだったね。すべてにおいて張り合いが出て、いい仲間だったよ」【赤塚辰浩】

◆三遊亭小遊三(さんゆうてい・こゆうざ)1947年(昭22)3月2日、山梨県大月市生まれ。明大在学中の68年に三遊亭遊三に入門。遊吉を経て、二つ目で小遊三と改名。83年に真打ちに昇進し、同年から「笑点」の大喜利メンバーに。落語芸術協会副会長を経て、現在は同協会参事。01年、芸術祭優秀賞。高校時代は卓球部の主将。「らくご卓球クラブ」の主要メンバーでもある。