藤井聡太竜王(王位・叡王・棋王・王将・棋聖=20)が渡辺明名人(39)に挑戦する将棋の第81期名人戦7番勝負第5局が1日、長野県高山村「緑霞山宿 藤井荘」で行われた。5月31日午前9時からの2日制で始まった対局は、後手の藤井が勝って対戦成績4勝1敗で初の名人を獲得するとともに、7冠となった。20歳10カ月での獲得は、1983年(昭58)に谷川浩司現九段(61)が達成した21歳2カ月の最年少記録を40年ぶりに更新した。7冠達成も羽生善治現九段(52)が96年2月に達成した25歳4カ月を上回った。

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約38年前、藤井とは全く異なる道のりで、日本中に「名人」として、名をはせた男がいる。ゲームソフト会社「ハドソン」で開発や営業などの業務に携わり、ゲームイベントで全国各地を駆け回った高橋名人(64)だ。「『名人』という肩書が、藤井さんの実力を加速させる。人生の大きな自信になると思う」。テレビゲーム界のレジェンドに“名人道”を聞いた。

「全然格が違いますけどいいんですか」。高橋名人は笑顔で切り出し謙遜した。藤井の印象について「単純に素晴らしいです」と称賛。その上で「10代のうちから相当な覚悟があって。高校を辞めたり、一生将棋に賭けていくという熱意をすごく感じています」と拍手を送った。

コントローラーのボタンを1秒間に16回押す「16連射」や「ゲームは1日1時間」などの名言で注目を集めた高橋名人。テレビゲーム機ブーム全盛期に一世を風靡(ふうび)したが、多くの苦労やプレッシャーがあったという。

高橋名人は1985年に、テレビゲームのイベント「全国ファミコンキャラバン大会」で全国各地を行脚した。普通の会社員だったがゲームの実演役に任命され「名人」と呼ばれるようになった。「イベントは毎回緊張していました。名称とはいえ名人と言われると、子どもたちの前で失敗できない。恥ずかしい姿は見せられないというのがあった。実力は後からついてきました」と明かした。続けて、藤井について「私とは違って実力がなければ名人にはなれない世界。末永くその席に座って、子どもたちの目標になるよう頑張ってもらいたい」とエールを送った。【沢田直人】