元日に発生し、最大震度7を観測した能登半島地震。2週間以上が経過しても、被災者たちは厳しい生活を強いられていた。それでも前を向いて進む人々の姿が-。石川県の被災地を歩いた沢田直人記者が、現地での取材を振り返ります。

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根元から倒壊したビル、大規模な火災に見舞われた観光名所の「朝市通り」。激震の爪痕が深く残る輪島市で、漆塗りの加工業を営む升井克宗さん(65)に、九死に一生を得た話を聞いた。

升井さんは地震の影響で職場兼自宅が倒壊。荷物の後処理をしていたところだったが、取材に応じてくれた。1日の地震発生時は、妻の佳美さん(63)とこたつに潜り込んだという。天井が崩れ落ちる中、わずかな隙間で揺れが収まるのを待った。四方がふさがり、閉じ込められるも、がれきをどけて自力で脱出。夫婦は「本当に奇跡です」と話した。

20分ほどの取材だったが、克宗さんら夫婦は優しく丁寧に対応してくれた。「中入ります?」と、倒壊した自宅の2階部分に入れてもらった。家具が倒れたりガラスがあちこちに散乱していた。生活していた様子が想像付かず、圧倒されてうまく言葉が出なかった。

升井さん夫婦は、輪島市の伝統産業「輪島塗」の技術を生かして、天然漆を重ねて加工したアクセサリーを製造販売する「升井彩本乾漆」を営む。近くの小学校で避難生活を続けているが、取材した日は仕事で使う道具を回収するなど、早期の事業再開に向けて動きだしている最中だった。

取材の終盤、家の外に出ると克宗さんと古い付き合があるという友人の男性が克宗さんを訪ねてきた。

「生きとったか」

「生きとったよ」

窮地を経験した被災者たちの生の声だと思った。互いに安否を確認して喜び、避難所での生活や次にいつ会うかの約束など、笑みを浮かべて近況を報告しあっていた。

升井さん夫婦を始め、多くの方が再興に向けて歩みを進めていた。その姿に私の方がよっぽど力をもらって帰路についた。【沢田直人】

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