僅差に泣いた「3強」の1頭-。学習院大在学中に「日本中世史」を学んだルーキー下村琴葉(ことは)記者が、歴代スターホースの逸話を探る連載「名馬秘話ヒストリア」の第3話はナリタトップロード。新馬戦からほとんどの手綱を取った渡辺薫彦調教師(47)が当時を振り返る。(毎週金曜掲載)

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勝者がいれば敗者がいる。テイエムオペラオー、アドマイヤベガとともに「3強」と称されたナリタトップロードは、彼らの華々しい勝利の影で涙をのんだ。

「トップロードがいなかったらどうなってたかな」。当時24歳だった渡辺薫彦騎手(現調教師)はそうつぶやく。完勝だった弥生賞を経て迎えた99年皐月賞。オペラオーの強烈な末脚に勝利を奪い去られた。2着オースミブライトとは鼻差の3着。「思いのほかハミを取ってくれず、ちぐはぐな競馬になった。うまく乗ってあげられなかったな、と今でも思う」とその悔しさはいまだに消えない。

ダービーではアドマイヤベガ(武豊騎手)に首差2着。3着はテイエムオペラオー(和田竜騎手)だった。「ダービーは和田と熱くやり合った感じ。それを豊さんが後ろで冷静に見ているような(笑い)。初ダービーで1番人気。今考えると恐ろしいね」。

父サッカーボーイに匹敵するようなきれいな馬でおとなしい性格だったが、激しさもありスイッチが入ると止められなかったという。「トレセンの中でカラ馬になっている馬がいて。よく見たらトップロードじゃない? みたいなことがあった」。でもレースではきちんと走る。オペラオーもオンとオフが上手だったと以前、和田竜騎手が話していた。スイッチの切り替えが得意なのは強い馬の特徴なのかもしれない。

引退後は種牡馬となるも、05年に心不全のため9歳でこの世を去った。G1は天皇賞・春の3年連続3着も含めて惜敗が多く、勝利は菊花賞だけ。だが、栄冠に挑み続けた彼の夢の続きは、渡辺師の未来にきっとつながっている。

◆ナリタトップロード 1996年4月4日生まれ、北海道門別町・佐々木牧場生産。父サッカーボーイ、母フローラルマジック(母の父アファームド)。馬主は山路秀則氏。栗東・沖芳夫厩舎。通算成績30戦8勝。重賞は99年菊花賞(G1)、01、02年阪神大賞典(G2)など7勝。総収得賞金は9億9011万2000円。

◆下村琴葉(しもむら・ことは)2000年(平12)、東京都生まれ。学習院大卒。学生時代は日本中世史ゼミに所属し『吾妻鏡』を講読。趣味は野球観戦。“ウマ娘”がきっかけで競馬に興味を持った。今年4月に日刊スポーツ入社、5月にレース部配属。