3月から調教師に転身する福永祐一騎手(46)が、JRAラストウイークを迎えた。

来週末はサウジ遠征のため、今週土日が中央競馬でのラストライドとなる。連載「ジョッキー福永祐一と私」では2週にわたり、ゆかりの深い関係者が思い出を振り返る。第1回は坂口正大元調教師(81)。福永騎手の初ダービー、98年キングヘイロー大敗の裏側を明かす。また「福永祐一ヒストリア」では、年表と写真で名手の軌跡をたどる。

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坂口正大元調教師の頭の片隅にはいつも、福永祐一騎手のことがあった。「なんとか助けてやりたい、応援したい」。あの洋一さんの息子が騎手になると聞いた時からずっとだった。

坂口元師 師匠の北橋さんと瀬戸口さんがちゃんと育てておられると知っていた上で、それでもチャンスがあれば福永を乗せたい、助けてやりたい気持ちが常に、心のどこかにあった。

師の父もまた調教師で、よく福永洋一騎手を乗せていた。その関係で洋一さんとは時折、話をする仲だった。あの落馬事故の時、自身も競馬場にいた。

坂口元師 洋一さんがああいうことになったのに、息子さんがジョッキーになると聞いて、ご家族は反対されなかったのだろうか…と思ったりもした。ただ、何とか応援したいとそのときから思っていた。実は私の妻と洋一さんが同い年で、長女と祐一くんが同い年。しかも「祐」の字も同じだった。勝手に、何か縁を感じていたのもある。

まだデビュー2年目の若手に、世界的な良血馬キングヘイローの手綱を任せた理由がそこにあった。デビュー3連勝の東スポ杯で重賞初制覇。しかし、翌年のダービーは14着に敗れた。中団から運ぶはずが、3年目の福永騎手はハナへ。緊張で顔面そう白だった。

坂口元師 当日の緊張だけじゃない。何週も前から新聞やテレビが取材に来た。勝てば最年少優勝(JRA設立以降)だ、洋一さんの勝てなかったダービーを-と。長く調教師をしていた私でも重圧を感じたのに、3年目の彼には相当なプレッシャーだったと思う。あのダービーの結果にはもちろん満足はしていないけど、福永を乗せたことは後悔していない。

キングヘイローの競走生活の終盤、福永騎手はほとんど乗っていない。それでも引退レースを終え、種牡馬として栗東から旅立つ同馬を見送りに駆けつけた。

坂口元師 調教の一番忙しい時間帯だったと思う。馬運車に積み込むところへ自転車で来て、最後まで見送ってくれた。なんて律義な男だと。そういった行動を私の厩舎だけでなく、みんなに自然にできる。それが福永祐一という人物。

師に再びわいた福永を応援したい思い。それはのちにピースオブワールドの騎乗依頼となり、02年阪神JF勝利へとつながった。

坂口元師 13年連続の年間100勝は並大抵ではない。いちばん脂が乗っている時に騎手を引退するのは惜しい、という気持ちが半分ある。ただ、残りの半分は、洋一さんをはじめご家族のこともあるし、第2の人生を調教師として頑張ってほしいという思い。これからも応援しています。【取材・構成=伊嶋健一郎】